はじめに
昨日に続き御所市多田(おいだ)の #多太神社。境内の大銀杏と桃の実?の石造物。御祭神と考えられるオオタタネコについて。記紀では崇神天皇の御世に三輪山の神を祀った人物と伝えられています。祭祀場と推定される纏向遺跡は桜井市太田に隣接
目次
本文
葛城の大鴨 の麓、多太神社(奈良県御所市多田おいだ)の続きです。
雲の動きで、山肌にあらわれる影が、刻々と変化する鳥の尾羽の模様のように見えます。
夏の日を浴びて、あと一か月少しで実りの秋ですね。
多太神社 境内(続き)
御本殿のそばに立っていますので、この銀杏(いちょう)の樹が御神木でしょうか。太さもさることながら、根っこがウネウネと大蛇が地を這うような。
こういうスガタをみていますと、神社の樹々は大地が内包する『生命力(気)』を地上にさかんに吸い上げて、御神域に降り注がせる役割で植えられたのかも知れませんね。
多太神社をお詣りして、ひとつ面白いものを見つけました。
パッカリと割れた桃の実のようなカタチの石。それぞれに内側に空洞があり、神社巡りで、はじめてみる造形です。
子孫繁栄・五穀豊穣を祈る意味があるのでしょうか。
御祭神・オオタタネコについて
古事記・日本書紀(記紀)(大意):第10代崇神天皇の御世に飢饉や疫病が流行り、ヤマトの国が乱れたとき、夢枕に大物主神(オオモノヌシ)があらわれ『オオタタネコ(古事記では意富多多泥古、日本書紀では大田田根子)に自分を祀らせれば国が平安になるであろう』という神託を授け、天皇はオオタタネコを探し出し、三輪山の神を祀らせた
つまり三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ)の創始に関わる話と解釈できます。
オオタタネコは大和の三輪氏(大神朝臣)、京都(山城)の賀茂氏(賀茂朝臣)の祖とされている人物です。
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日本書紀には「茅渟県(ちぬのあがた、河内国)の陶邑(すえのむら)」の在(現在の大阪府堺市中区の陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)あたり)と書かれています。
一方、当ブログでときどき引用する『出雲伝承』では葛城の在とされており、すなわち多太神社のあるここ、御所市多田(おいだ)である可能性もあります。
ヤマト創世記とオオタ地名(纏向)
オオタタネコに関連すると考えられる オオタ地名は、ヤマト創世の時代(ヤマタイコク含む)における古代史の謎に迫るキーワード かも知れません。