第10代崇神大王(御肇国天皇)
はじめに 冬至の日 #纒向遺跡 から東南の #三輪山 山頂から日が昇ります。遺跡には #伊勢内宮 #唯一神明造 に通じる #棟持柱 のある建物跡。一年の終わりと始まりを知らせる古代太陽祭祀のこん跡。近くの #他田坐天照御魂神社 にも参拝。#太田田根子 #大神…
はじめに 昨日に続き御所市多田(おいだ)の #多太神社。境内の大銀杏と桃の実?の石造物。御祭神と考えられるオオタタネコについて。記紀では崇神天皇の御世に三輪山の神を祀った人物と伝えられています。祭祀場と推定される纏向遺跡は桜井市太田に隣接 目…
はじめに 大神神社の境外社 #檜原神社 の御由緒、#國津神社 の案内ともに #ホケノ山古墳 が #豊鍬入姫 の墳墓という伝承を紹介。#三輪山麓 #纏向 をひとつの大祭祀空間と考えると十分にあり得る話です #同床共殿 #倭姫 #元伊勢の旅 目次 ホケノ山古墳の被葬…
まとめ 天皇の皇女(ひめみこ)が皇祖・アマテラスに奉仕する #斎王 の伝統。10代崇神大王の #豊鍬入姫 の #倭笠縫邑 に始まり、11代垂仁大王の倭姫が長い旅の後 #伊勢内宮 に至ります。40代天武天皇の #大来皇女 は伊勢におもむく前、潔斎のため #泊瀬斎宮 …
墨坂神社から北の鳥見山(とりみやま)(2019年9月) 日本書記の崇神紀(第10代)に『疫病を鎮めるため、赤盾八枚、赤矛八竿を墨坂の神に祀り、黒盾八枚、黒矛八竿を大坂の神に祀る』とあり、これが由緒になって、墨坂は「日本最古の健康の神を祀る神社」と…
古代大和(右、奈良)と河内(左、大阪)をつなぐ峠道 北の生駒(いこま)山系と南の葛城(かつらぎ)山系の間の開口部、大和二上山(にじょうざん)の北部一帯を、古代には『大坂(おおさか)』と呼びました。 西の河内平野、東の大和盆地から続く大きな坂…