まとめ
天皇の皇女(ひめみこ)が皇祖・アマテラスに奉仕する #斎王 の伝統。10代崇神大王の #豊鍬入姫 の #倭笠縫邑 に始まり、11代垂仁大王の倭姫が長い旅の後 #伊勢内宮 に至ります。40代天武天皇の #大来皇女 は伊勢におもむく前、潔斎のため #泊瀬斎宮 に滞在。#小夫天神社 が鎮座する #斎宮山 がその地との伝承
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小夫・天神社(桜井市大字小夫3147)
第十代崇神大王の皇女・豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)、第40代天武天皇の皇女・大来皇女(オオクノヒメミコ)が、斎王として禊をしたと伝承される化粧川の化粧壺(大字修里枝、しゅりえだ)。
その東約1キロ、大字小夫(おおぶ)に斎宮山があり、その山口に天神社が鎮座しています。
斎宮山の麓に鎮座。創建年は不明ですが、境内にあるケヤキの巨木は樹齢千五百年ですから、そんな昔から信仰の地であったことがうかがえます。
桜井市HPには「天神社の名の通り太陽信仰に関係した社で、天照大神を主神とする元伊勢の伝承地のひとつ」として紹介されています。
向かって右は「おかげ踊り灯篭」といって、おかげ詣り(伊勢詣り)が盛んだった江戸後期の作だそうです。
社伝・文字起こし)往昔、小夫郷は倭笠縫邑と称せられ、当天神社・天照皇大神御鎮座は、第十代崇神天皇即位六年秋九月二十三日、神人分離の一大変革により、皇女・豊鍬入姫命が皇祖を奉侍し給うた最初の霊跡であり、当神社は斎宮山と称し、第四十代天武天皇即位二年四月、大来皇女命が化粧川で禊され、宮を泊瀬斎宮と為し、皇祖・天照皇大神を奉斎せられた元伊勢として今日に伝えられている
大来皇女が天武二年に斎王として伊勢におもむく途中、約一年半、潔斎のためこの地(泊瀬斎宮)に滞在していたと伝承されています。
中殿:天照皇大神、【相殿】大来皇女命、東殿(左):天児屋根命(春日大神)、品陀別命(応神天皇)、西殿(右):菅原道真(天満大自在天神)
本殿横の斎王神社。御祭神は豊鍬入姫命と倭姫命。
境内社。左から三王神(大山咋命、おおやまくいのみこと)、大峯行者菩薩社、高龗神社。
樹齢千五百年、ケヤキの大樹
樹高30m、根周り11m、幹周り8.24m。樹高10mのところで10本の枝に分かれています。桜井市内で一番の巨樹で、県下でも有数のケヤキです(立札より)
大きさを実感いただくため、奥さんをモデルにしました。
(社地の石垣を割って)斜めに生えている巨樹を見たことがありません。下から見上げると大迫力です。