はじめに
日本古代史では #豊鍬入姫命 のほか「トヨ」の名の姫巫女は、皇后時代に #日奉部 を主催した推古天皇(#豊御食炊屋姫)も。 #伊勢神宮外宮 御祭神は #豊受大御神。これらの点を繋げてざっくりとした線を描いてみました #三輪明神の正体 #謡曲三輪
目次
本文
謡曲『三輪』~三輪と伊勢の神は一体分神
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
以前に、三輪山麓を舞台とした謡曲『三輪』を紹介したことがあります。
三輪山麓に隠棲していた玄賓僧都(げんぴんそうず)*1と三輪明神の邂逅を描いた謡曲で、毎年四月上旬の大神祭で演じられます。作者不詳とされていますが、近年ではその幽玄の作風から、世阿弥あるいは世阿弥にきわめて近い人物の作と考える専門家もいます。
おもへば伊勢と三輪の神 おもへば伊勢と三輪の神 一体分神の御事(おんこと) 今さら何と云わくらや
伊勢と三輪の神(アマテラス)は一体分神であるという、有名な結末の一節。
古代史の謎解きが『三輪』のテーマであり、そして、
三輪山・大神神社(檜原神社)・箸墓やホケノ山古墳を含む纏向が、太陽の姫神・アマテラスのための大きな祭祀空間であったと考えると、(檜原神社が伝える通り)三輪の倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)が伊勢への出発点 であったと考えています。
また 今さら何と云わくらや は三輪山の磐座(いわくら)*2をかけており、つまり、アマテラスは古い出雲の母神であることを暗示しています。
ご存じの通り、お伊勢さんは内宮(皇大神宮)に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮(豊受大神宮)に豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀っています。
これまでの調べで目下の結論は「トヨ」の名は、太陽の姫神・アマテラスに奉祀した姫巫女、あるいは、飛鳥時代の大来皇女*3(おおくのひめみこ)以来の斎宮(さいぐう)の尊称と考えています。
たとえば、豊御食炊屋姫(とよみけみかしきやひめ)が本名である推古天皇は、敏達天皇の皇后時代、おそらく宮中にて太陽神(アマテラス)を奉祀する、日奉部(ひまつりべ)を主催しました。
もちろん、ホケノ山古墳の被葬者と伝承される豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)も同様で、むしろこの姫様の「トヨ」の名が、後の尊称の元になったと考えることもできます。
*****
伊勢神宮の経緯を書くと長くなりますので別の機会にしますが ざっくり 言いますと、
内宮のアマテラス大神に奉祀する歴代のヒメミコたち(姫巫女、斎宮)を神格化したのが、外宮のトヨウケ大神というふうに考えてよいでしょうか。
魏志倭人伝の台与
魏志倭人伝には、ヤマタイコクの女王ヒミコの跡を継いだ『台与(トヨとも読める)』という名のヒメミコ(12才)が登場しますが、彼女が豊鍬入姫命である可能性があり、時代的に考えてもその可能性は高いでしょう。
出雲伝承では(正史で伝えられる崇神天皇の皇女ではなく)豊(トヨ)の国(現在の大分、旧国名は豊前・豊後。宇佐)からやって来たヒメミコと伝えられています。