ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【大和 二上山あたり】古代大坂越えの道の神様(2)【逢坂・大坂山口神社】

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古代大和(右、奈良)と河内(左、大阪)をつなぐ峠道

北の生駒(いこま)山系と南の葛城(かつらぎ)山系の間の開口部、大和二上山(にじょうざん)の北部一帯を、古代には『大坂(おおさか)』と呼びました。

西の河内平野、東の大和盆地から続く大きな坂が出逢うところでもあるので、逢坂(おうさか)ともいいます。

逢坂・大坂山口神社(奈良県香芝市逢坂5-831)

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逢坂・大坂山口神社

御祭神:(主神)大山祇神(おおやまつみのかみ)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、神大市姫命(かむおおいちひめのみこと)(大正五年の明細帳訂正願(※)による)

神大市姫命とは市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、弁天様のことですね。スサノオとは親子のほか、夫婦という説もあります。

(※)明治期の神社明細帳では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、天津児屋根命(あまつこやねのみこと)、稲倉魂命(いなくらたまのみこと)となっていました

伊勢街道沿いの街中に鎮座する大坂山口神社は、山肌を掘削して神域が造られた穴虫(あなむし)の大坂山口神社とはずいぶんと趣が異なります。

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逢坂・大坂山口神社 左)伊勢街道から 右)境内から街並み

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逢坂・大坂山口神社 境内と拝殿

拝殿の奥の本殿は、穴虫と同じ三間社流造(ながれづくり)。

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逢坂・大坂山口神社 本殿(二上山博物館資料より)

逢坂の大坂山口神社には木造や瓦製の古い狛犬の他、男神・女神像などの宝物が多く残されています。

狛犬像、男女神像とも、雌雄ワンセットのもので、どうもそのあたりが御祭神(スサノオイチキシマヒメ)の訂正と関係がありそうです。

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"逢坂・大坂山口神社 説明パネル

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神社宝物の木造狛犬二上山博物館資料より)

崇神紀の由来、大和のクニの境界(結界)

日本書記の崇神紀には『(疫病が流行った時)赤盾八枚、赤矛八竿を墨坂の神に祀り、黒盾八枚、黒矛八竿を大坂の神に祀る』とあり、墨坂は奈良県宇陀市榛原の墨坂神社、大坂が大坂山口神社に比定されています。

参考に大和盆地東西の両社の位置。大坂は峠の向こうで、「衛我河(えががわ)の戦い」という壬申の乱の激戦がありました。

伊勢街道は、大坂から東に、大和盆地を横切って三輪に至り、墨坂の南、吉野-伊勢をつないで通ります。

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大坂と墨坂は古代大和の国境(壬申の乱橿原考古学研究所付属博物館資料より)

なにぶん、古い時代の話ですが、紀元前の崇神大王(第10代、紀元前148~30年)の時代に、古代大和の国境が定められていたということでしょう。

同じ名前の神社が、同じ格式の式内社として、逢坂と穴虫に二つ鎮座していることについては、

山の入り口に置かれ山口と云われる神社が各地にあるところから「山肌の穴虫の後に、平地の逢坂」という説、

広い大坂エリアを分担して鎮守したという説、

などがありますが、今となってはその真偽はわかりません。

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逢坂・大坂山口神社から二上山

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神社に隣接するお屋敷 美しいですね

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