空蝉の 殻は何処に朽ちぬとも 我魂宿る かた岡ぞこれ(陸奥宗光)
うつせみの からはいずこにくちぬとも わがたまやどる かたおかぞこれ
享和2年(1802)は紀州生まれの伊達宗広。
息子は明治新政府で外務大臣を勤めた陸奥宗光(むつむねみつ)。
欧米列強との不平等条約の改定に尽力した人だ。
神戸の海軍操練所で坂本龍馬と出会い、海援隊(亀山社中)に入隊、幕末、行動を共にした。
徳川御三家にありながら、筋金入りの尊王精神は父から受け継がれた。
維新後、父・宗弘が隠居先としたのが夕陽丘の自在庵。
鎌倉時代の歌人・藤原家隆の晩年の地、夕陽庵(せきようあん)の側に庵を結んだ。
宗弘はこのあたりを夕日岡(ゆうひのおか)と呼んだ。
今は無理だが、家隆や宗弘の時代、好天の日には、丘から西の方角、神戸や淡路島が遠くに見えたはずだ。