ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

夕陽のことだま 190511 伊達宗弘 自在庵跡(陸奥宗光、父への弔歌碑)

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空蝉の 殻は何処に朽ちぬとも 我魂宿る かた岡ぞこれ

天王寺区夕陽丘町 伊達宗広、自在庵跡

空蝉の 殻は何処に朽ちぬとも 我魂宿る かた岡ぞこれ(陸奥宗光

うつせみの からはいずこにくちぬとも わがたまやどる かたおかぞこれ

享和2年(1802)は紀州生まれの伊達宗広。

息子は明治新政府外務大臣を勤めた陸奥宗光(むつむねみつ)。

欧米列強との不平等条約の改定に尽力した人だ。

神戸の海軍操練所で坂本龍馬と出会い、海援隊亀山社中)に入隊、幕末、行動を共にした。

徳川御三家にありながら、筋金入りの尊王精神は父から受け継がれた。

維新後、父・宗弘が隠居先としたのが夕陽丘の自在庵。

鎌倉時代歌人藤原家隆の晩年の地、夕陽庵(せきようあん)の側に庵を結んだ。

宗弘はこのあたりを夕日岡(ゆうひのおか)と呼んだ。

今は無理だが、家隆や宗弘の時代、好天の日には、丘から西の方角、神戸や淡路島が遠くに見えたはずだ。