ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【津島神社(3)】スサノオ神(牛頭天王)の四つの魂を祀る境内社【六社参り】

尾張なごや #津島神社 の三回目。境内にはたくさんの摂社末社が並びますが、御祭神 #須佐之男命 の #荒魂 #和魂 #幸魂 #奇魂 をそれぞれ祀る社が残っているのは大変珍しいとのこと。なお御本殿はこの4つの魂を併せ持った直霊(なおひ)を祀ります

目次

本文

津島神社(境内摂社)六社参り

津島神社(境内摂社)六社参り〇印(左下の居森社境内に居森社と疹社)

案内より)津島神社は、欽明天皇元年(540)に 西国対馬から須佐之男命が居森の地にご来臨 されたのが始まりとされ、当初は「津島社」と呼ばれていました。その後、仏教が伝来し、「神仏習合」という考えが生まれ、日本の神は仏の化身であるとされ、津島神社の御祭神は「牛頭天王」となり、社名も「津島牛頭天王社」に変わり、明治の神仏分離まで続きました。奈良時代「疫病」が起こり、平安時代には全国に広まりました。「疫病」は一つの集落が消滅するような大変怖い病であったので、当時の人々は「粗末の(ママ)扱うと大きな祟りをもたらす強い神に守ってもらおう」と、牛頭天王信仰が起こり、津島神社神職は「御師、おんし、おんじ」として全国(当初は琵琶湖の東岸から鎌倉辺り)各地の集落の有力者の家に泊まり、祈祷や神札を配り大神様のご利益を布教してまわり、現在では全国三千社以上の御分霊社(町内社を含めると一万社とも)があるといわれております。古来より、日本の神々は人と同じような人格を持つと言われ、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂を持ち、これを併せ直霊(なおひ)と言い、荒魂(あらみたま)は活動、和魂(にぎみたま)は調和、幸魂(さきみたま)は幸福、奇魂(くしみたま)は霊感を担う とされています。津島神社では創建以来、御祭神(須佐之男命)を祀った社をすべて残し、現在 本殿を始め、荒魂社、柏樹社、和魂社、居森社、疹社(はしかのやしろ)の六社を境内にお祀り 申し上げており、全国的にも大変珍しく皆様方には六社をお参りいただき、大神様の御神徳をいただかれますことをお勧めします。

居森社と麻社(はしかのやしろ)

南の大鳥居をくぐってすぐ、参道の左側に居森社。

上の案内によると、はるばる対馬からやって来たスサノオ神が、最初に降臨したとされており、つまり、ここが津島神社の創建の地ということになります。

津島神社 居森社

三社が並んでいますが、中央の居森社がスサノオ神の幸魂(さきみたま)、右の疹社(はしかのやしろ)が和魂(にぎたま)を御祭神としています。

大日孁社(おおひるめのやしろ)は皇室の祖神、つまりアマテラス神(日の神)を祀っています。

左から大日孁社(おおひるめのやしろ)、①居森社(いもりしゃ)、②疹社(はしかのやしろ)

和魂社(にぎみたまのやしろ)と柏樹社(かしわぎのやしろ)

広い境内の東南角に、和魂社(にぎみたまのやしろ)と柏樹社(かしわぎのやしろ)。

柏樹社(かしわぎのやしろ)の御祭神はスサノオ神の奇魂(くしみたま)。

津島神社 和魂社(にぎみたまのやしろ)と柏樹社(かしわぎのやしろ)

津島神社 御本殿(スサノオ神の直霊、なおひを祀る)

津島神社の拝殿 奥にスサノオ神の直霊を祀る御本殿

御本殿は慶長十年(江戸期、1605)、清州城主・松平忠吉(家康公四男)の健康を祈願して、政子の方より寄進された華麗な桃山式建築(重要文化財)。

津島神社 スサノオ神の直霊を祀る御本殿

荒魂社(あらみたましゃ)

本殿東の御神域に、かつて ヤマタノオロチ(八岐大蛇)の御霊を祀っていた蛇毒神社 とも伝えられる荒魂社(あらみたましゃ)。

いかにも、コワ~い神社名…ヤマタノオロチを御祭神とした神社ってほかにあったでしょうか。

津島神社 荒魂社(あらみたましゃ)

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