ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【今、四条御旅所】祇園祭 神輿渡御の今昔【昔、大政所御旅所・少将井御旅所】

はじめに

少しマニアックですが #祇園祭 #神輿渡御 の歴史。御神霊を載せた三基の神輿、現在は祭の期間中 #八坂神社四条御旅所 にとどまりますが、かつては #大政所御旅所(烏丸)#少将井御旅所(丸太町)に渡御していました

目次

本文

神幸祭還幸祭/八坂神社 四条御旅所

先日、八坂神社の記事で、祇園祭の期間中、本殿から出た御神体が乗る三基の神輿を紹介しました。

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八坂神社 舞殿の三基の神輿(左:西御座、中央:中御座、右:東御座)

前祭(さきまつり)の山鉾巡行(7月17日)が無事終わった後の夕方、神幸祭(しんこうさい)が斎行されました。

八坂の神さん(三柱)が、八坂神社から 四条四条御旅所(しじょうおたびしょ) に渡御(とぎょ、一時的にお泊りになる)される神事。

①神輿が渡御する四条通りに面した四条御旅所(神輿が阿陳ちされるところ)(35.00373798947489, 135.76713976158427)7月17日朝撮影のため神輿は渡御する前

今週末24日、後祭の山鉾巡行終了後に斎行される還幸祭(かんこうさい)まで、三柱の御神霊は神輿に乗ったまま、御旅所にとどまられます。

御旅所は三棟の社殿から成り、上①神輿の安置所、下②左写真(随身像、鳥居のあるのが冠者殿社)、下③右写真の社殿が隣り合っています。

四条御旅所②随身像、鳥居が冠者殿社、③八坂神社四条御旅所の碑(看板に隠れている)と社殿

②四条御旅所 随身

八坂の神さんが渡御する御旅所の歴史

冠者殿社の由緒。前半のみ文字起こし、一部要約)八坂神社の境外末社。官社殿社表記されることもある。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)。荒魂は和魂(にぎみたま)と対をなすもので、神霊のおだやかな働きを和魂、猛々しいはたらきを荒魂といい、全国の神社の本社には和魂を、荒魂は別に社殿を設け祭るという例が多い。もとは烏丸高辻にあった 八坂神社大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ) に鎮座していたが、天正19年に豊臣秀吉の命により、現在地に移された(後略)

冠者殿社 御由緒

大政所御旅所(秀吉公の時代まで祇園祭の御旅所だったところ)

京都市内オフィス街の中心地、四条烏丸の交差点から、烏丸通り(東側)を南に数分歩いたところ、ビル街の中に大政所御旅所。

ここが、かつて秀吉公の前の時代まで、祇園祭の御旅所だったところです。

(35.001268505700125, 135.7598470960533)/京都市下京区大政所町678−3/烏丸交差点から烏丸通りを南に徒歩数分(駐車場はありません)

日頃、閉鎖されていますが、祇園祭の期間中、竹笹が掲げられ、鉄扉が開いており参拝できます。

八坂神社 大政所御旅所(秀吉公の時代まで祇園祭の御旅所だったところ)

烏丸通りを渡ったところ、ちょうど大政所御旅所に真向いのビルの谷間、一坪に満たないスキ間の遥拝所があることを知る人は少ないです。

八坂神社 大政所御旅所(遥拝所から撮影)

西を向いていますが、伊勢遥拝所かも。詳しくはわかりません。

ビルの谷間に 大政所御旅所 遥拝所

少将井御旅所(秀吉公の時代まで祇園祭の御旅所だったところ)

なお、大政所御旅所の案内に書かれた、かつて櫛稲田姫(くしいなだひめ)の神輿が渡御した 少将井御旅所 は、大政所御旅所から烏丸通りを約2キロ上がった京都新聞社のビル(中京区少将井町、地下鉄丸太町駅近く)あたりにありましたが、かつての社殿はビル建設とともに取り壊され、現在は、建物壁面の案内銘板がある他、近くに少将井旧跡の碑があるだけです。

京都新聞社 少将井御旅所 案内銘板

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