アメリカン・ファーストフードという黒船の来航
マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナッツ・・・
いずれも日本第一号店のオープンは大阪万博翌年の1971年。
それには理由があります。
万博会場には、各国政府館(パビリオン)のレストランのほか、飲食施設がありました。
中でも、アメリカン・パーク(コカコーラ館)やペプシ館(エキスポランド、遊園地)で提供されるアメリカンスナックは、混雑する会場で手軽に短時間で食べられること、何よりも、すきっ腹にガツンと来るおいしさのインパクトは大きく、この(会場での家族)体験が、日本のファーストフード業界の普及と発展の基礎になりました。
しかし、私は一人で会場に何度も足を運ぶ万博坊主だったのですが、母親から『あんなもんは高いし体に悪いから食べるな』と、爆弾おにぎり2個と水筒の麦茶を持たされていたので、実際のファーストフード体験はずっと後の話になります。笑
心に刻まれた記憶に残る人生初の『おフランス』料理とは!?
※BGMにどうぞ。初期音量にご注意ください(パリの空の下、Juliette.Greco)
【フランス語】パリの空の下 (Sous le ciel de Paris) (日本語字幕)
家族で会場に行ったとき、フランス館のレストラン『コンコルド』で、人生初のフランス料理のフルコースを体験しました。
最初の料理が出てくるまでに撮った写真ですが、腹へって元気がありません。
でも、初のフランス体験にドキドキしておりました。驚異のカタツムリ(エスカルゴ)料理のほか、
フランスと云えば、赤塚不二夫さんの『おそ松くん』の自称・フランス帰り、街角に現れるイヤミを知るくらいで、フランスに行くと『おフランス』とか語尾の『ざまぁス』とか、イヤミな人間、変な日本語になると割とマジで思い込んでましたから。
エスカルゴをかじった(すきっ腹でも食べられなかった)ことを覚えてますが、
何より鮮明に覚えているのは、メインデッシュだったか、ライスにホワイトソースがのったメニュー。
一口食べて『こんなにウマいものが世の中にあるのかっ!』というトレビア~ン♪な驚きとともに、
私の中の『おフランス』イメージが、イヤミからフレンチに入れ替わった瞬間です。
もちろん、彫りの深い西洋顔のウェイターさんに、料理の名を聞く勇気もなく、しばらく謎のままであったのですが、
後にお母ちゃんが、いつものハウスカレーではなく、テレビ広告で見て ハウスシチュー を作ってくれた時のこと。
『これだっ!』と、いきなり、ごはんにぶっかけて食べました。
だって、フランス人もそうして食べる(テーブルマナー的な)ものと思ってましたから。
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さて(同席していた姉に聞いても)フランス館で食べたあれが「シチューライス」だったかどうかはいまだに謎ですが、私の中では「ホワイトシチューをかけたごはん」であり、今も好物です(ビーフシチューは食べません)
1人の体験談ですが、万博は私たちの食生活を、ジワジワッ~と、西洋化と外食利用の方向に変えてゆきました。