ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【発掘・EXPO70(10)】マクド(マック)、ケンフラ、ミスド発展の基礎【私的おフランス料理の始まり】

アメリカン・ファーストフードという黒船の来航

マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンミスタードーナッツ・・・

いずれも日本第一号店のオープンは大阪万博翌年の1971年。

それには理由があります。

万博会場には、各国政府館(パビリオン)のレストランのほか、飲食施設がありました。

中でも、アメリカン・パーク(コカコーラ館)やペプシ館(エキスポランド、遊園地)で提供されるアメリカンスナックは、混雑する会場で手軽に短時間で食べられること、何よりも、すきっ腹にガツンと来るおいしさのインパクトは大きく、この(会場での家族)体験が、日本のファーストフード業界の普及と発展の基礎になりました。

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左:アメリカン・パーク、中:ペプシ館どちらも万博協会HPより

しかし、私は一人で会場に何度も足を運ぶ万博坊主だったのですが、母親から『あんなもんは高いし体に悪いから食べるな』と、爆弾おにぎり2個と水筒の麦茶を持たされていたので、実際のファーストフード体験はずっと後の話になります。笑

心に刻まれた記憶に残る人生初の『おフランス』料理とは!?

※BGMにどうぞ。初期音量にご注意ください(パリの空の下、Juliette.Greco)


【フランス語】パリの空の下 (Sous le ciel de Paris) (日本語字幕)

家族で会場に行ったとき、フランス館のレストラン『コンコルド』で、人生初のフランス料理のフルコースを体験しました。

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押し入れから出てきた写真・・・私です(/ω\)。いちばん右がお母ちゃん、その隣が姉

最初の料理が出てくるまでに撮った写真ですが、腹へって元気がありません。

でも、初のフランス体験にドキドキしておりました。驚異のカタツムリ(エスカルゴ)料理のほか、

フランスと云えば、赤塚不二夫さんの『おそ松くん』の自称・フランス帰り、街角に現れるイヤミを知るくらいで、フランスに行くと『おフランス』とか語尾の『ざまぁス』とか、イヤミな人間、変な日本語になると割とマジで思い込んでましたから。

www.koredeiinoda.net

エスカルゴをかじった(すきっ腹でも食べられなかった)ことを覚えてますが、

何より鮮明に覚えているのは、メインデッシュだったか、ライスにホワイトソースがのったメニュー

一口食べて『こんなにウマいものが世の中にあるのかっ!』というトレビア~ン♪な驚きとともに、

私の中の『おフランス』イメージが、イヤミからフレンチに入れ替わった瞬間です。

もちろん、彫りの深い西洋顔のウェイターさんに、料理の名を聞く勇気もなく、しばらく謎のままであったのですが、

後にお母ちゃんが、いつものハウスカレーではなく、テレビ広告で見て ハウスシチュー を作ってくれた時のこと。

『これだっ!』と、いきなり、ごはんにぶっかけて食べました。

だって、フランス人もそうして食べる(テーブルマナー的な)ものと思ってましたから。

*****

さて(同席していた姉に聞いても)フランス館で食べたあれが「シチューライス」だったかどうかはいまだに謎ですが、私の中では「ホワイトシチューをかけたごはん」であり、今も好物です(ビーフシチューは食べません)

1人の体験談ですが、万博は私たちの食生活を、ジワジワッ~と、西洋化と外食利用の方向に変えてゆきました。

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フランス館 レストラン『コンコルドコンコルドの展示模型