ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

伊勢と出雲と平城京の結界ライン 日の本の国づくりの始まり

60ちょい過ぎて、プログラミングを始めた。
年が年だけに暗記型では、ほとんど前に進まない。
そこで、趣味の範囲で「伊勢神宮三重県)と出雲大社島根県)を結ぶライン上に平城宮奈良県)が配置されている」という説を実際に確かめてみることにした。
目的型のオブジェクト指向で学習効果が上がると考えた。

まずGoogle地図でラインを引いてみた。確かに繋がっていそうだが、詳細はわからない。

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出雲-平城京跡-伊勢01

自分のやりたいことに近い緯度・経度プログラムを探してきて、目的に合うように修正して計算した。
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地球の丸さを考慮した精密な結果だ。
ラインは平城京の中心域内を通っていた。(黄色で囲ったところ)

(以下、第一次造営を参照)
天皇に拝謁するためには、南側から朱雀門という最終ゲートを超え、朱雀大路を登って朝堂院にアプローチするが、ラインはそこを通過している。そもそも許された者しか入れない都の核心部と言っても良いだろう。
また、東の玉手門と南の式部省(測量を管掌。文部省に相当)を通過しており、どちらも座標の基準点であったことがわかる。
(都の南端の羅城門は、ここから五キロほど南になる)

当時の測量技術のレベルの高さに感動するとともに、ここまで実現する執念と、すでにはるか昔となっていたはずの出雲というクニへの畏怖、その存在感の大きさに驚く。

東の伊勢(日が昇るアマテラス)と西の出雲(日が沈むオオクニヌシ)の結界に守られた都づくりへの強い意志である。
基本は、唐の都に倣った碁盤配置であるが、北向きには日本オリジナル化した北辰北斗(北極星)の思想が混ざり込んでいると考えている。
稀代のプロデューサー・藤原不比等(ふひと)全盛の時代、内外の思想や概念を融合した新都である。
天皇は北(太極殿)に鎮座・君臨し、二大神に東西を守護させ、神に対してすら南面する。
そういった国土観、国家観とともに、本格的な中央集権型の奈良時代が始まったのだ。

古事記日本書紀はこの時代に次々と編纂された。
古墳時代以前の史実と神話がごちゃ混ぜになっている不幸の原因であるが、典拠となる信頼できる文書が他にない(おそらく焚書された)から仕方がない。
だからこそ両書で歴史解釈する場合、そういった点に十分に注意を払い、一定の距離を置いて読んだ方がよいと思う。

出雲-伊勢の結界のラインは、当時の人たちの日の本の国づくりに対する強い情熱、猛烈なオブジェクト指向の貴重な証拠だと思う。

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