はじめに
久しぶりの #平城宮跡。周囲が #平城宮跡歴史公園。中を #近鉄奈良線 が通過。今夏に近鉄と奈良県の間でう回ルートの協議が始まりました。今のうちが見納めかも。#朱雀門 #太極殿 #太極院殿(復元工事中) #四神日月 #結界 #平城宮跡資料館
目次
本文
奈良時代は710年(和銅3年、元明天皇)から長岡京に遷る784年(延暦3年、桓武天皇)までの75年間ですが、その間に、平城京が都であったのは、710年~740年(第一次)、745年~784年(第二次)の2回。
途中、短期間だけ紫香楽宮(しがらきのみや、滋賀)と難波宮(なにわのみや、大阪)に都が遷ります。
平城宮跡歴史公園
太極殿、太極殿院(復元工事中)
建物が復元されているのは第一次の朱雀門(南側)、太極殿(北側)、そして現在、その中間の太極殿院が復元工事中です。
土曜日開催のようですが、復元工事中の太極殿院の現場見学会のお知らせです(事前申し込み制。競争率が高そう!)
写真にはうまく映ってませんが、中央扉の向こうに高御座(たかみくら)が置いてあります。
玉手門跡を通過する結界ライン
平城宮の西南の玉手門跡です。何の変哲もない公園の出入口ですが、ここが私のブログネタ(1回目)になりました。
玉手門と壬生門は、伊勢神宮内宮(アマテラスが鎮座)、出雲大社本殿(オオクニヌシが鎮座)をつなぐラインの目印(座標の二点)です。
「四神は外来」「日月は日本」で結界の最強タッグ。
アマテラスが日、オオクニヌシが月(御陰様)か。
平城宮は、現代科学から考えても驚異的といえる高精度な測量のもと、この場所に造営されたと考えられます。
現在につながる『日本の国づくり』は、ここから始まりました。
面白い偶然ですが、近鉄電車は「日月」の結界ラインに並行して走ります。車内からだと「平城宮跡」の看板が見え、朱雀門を通過するあたりが目印です。
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(2020年12月、始めました)
当ブログは日々のテーマで、多いときは十数話シリーズで書いていますが、どうしても書きっぱなしになりがち。そこで、2019年4月からブログを始めて、大きなテーマも見えてきたこともあり、長めのルポ風は投稿サイトで、別途、作品化することにしました。
当ブログと重複する内容もありますが、過去記事の内容と、1ブログネタにならなかったり、逆に書き切れなかった情報をあわせて再構成しております。
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