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本道寺口之宮湯殿山神社
出羽三山への入山口のひとつ、本道寺口之宮湯殿山神社(山形県道112号左沢浮島線沿い)
大きな本堂は、入山口の宿坊(賄いどころ)としての役割があったのでしょう。
地元西川町の案内には「弘法大師・空海(真言宗)が、湯殿山を奥の院として809年に開基され」、江戸期には「かつて徳川家七祈願所のひとつとされたパワースポット」と紹介されています。
毎年9月8日の「例祭」では、お堂内の仁王像が見守る中、護摩経が行われます(訪問日は9月5日。惜しい!)
もともと、月光山 本道寺と称していた湯殿山の別当寺*1は三度の火災を経て、現在の伽藍は天保12年(1841年)に再建されました。
修験道。神仏習合の姿
特に中世以降の神仏習合の信仰が色濃く、江戸後期の神仏一体の教理にもとづいて建てられたとのこと。
したがって御祭神もおられます。
御祭神:大山祇神・大己貴命・少彦名命(湯殿山)/月読命(月山)・伊弖波神(いではのかみ、羽黒山)*2を配祀
ふるくからの出雲の三神、飛鳥時代に蜂子皇子(能除大師)がひろめた月読命、そして出羽(土着)の産土(うぶすな)の神。
明治の神仏分離令で、修験道(神仏習合)は禁止され、長年積み上げてきた歴史や文化が薄れゆく中、本道寺はいち早く口之宮湯殿山神社として再スタートを切ったといいます。
そのために、今もなお、修験道伽藍の実態をよく遺しており、修験道文化を考えるうえで貴重な建築物と考えられています(文化庁)
本堂回廊の佛足石(ぶっそくせき)。たいへん珍しいデザインと説明板に書いてありました。
旧本道寺 代参塔群
代参塔とは湯殿山の信者さんが諸願成就のため、湯殿山の別当であった本道寺に多額のお金を寄進し、住職に代参(代理参拝)を依頼する信仰のカタチで、その寄進の一部をあてて建立したのが、これらの石塔だそうです。
説明板より)代参塔の建立は18世紀後半(江戸後期)に集中している。代参は毎月、住職が本道寺内で祈祷し、湯殿山へは先達修験を遣わして参詣させ、信者には「湯殿山御守札」を配布した。
中には、百ケ村・約330名が金87両を寄進し、毎日の代参を依頼した旨、記録された塔があるそうです。