まとめ
岩根沢三山神社。山門そばの少し不気味な #姥神さま、大きな #天狗面 に圧倒され、石段の上の巨大なお堂。見上げれば #高山文五郎師 の木彫。神仏習合・修験の聖堂を触媒とした #地域集落のものづくり文化 のこん跡。まるで山岳信仰アート、美術館のようです
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岩根沢三山神社(山形県西村山郡西川町岩根沢)
正式名称(社号)は「月山神社・出羽神社・湯殿山神社 摂社 月山 出羽 湯殿山 三神社(旧日月寺)」
御祭神:月読命(月山)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと、出羽)、大己貴命・少彦名命・大山祇神(湯殿山)
出羽の倉稲魂命は、いわゆるお稲荷(お狐)さんですね(宇迦魂命は読みが同じ。)
ご由緒より)1226年(嘉録二年)大和の国から行脚に来ていた僧が、岩根沢にお堂を建てたのが最初(役行者の威力も加わり月山に道を切り開きその後、参詣の行者が増えた)。1387年(嘉慶元年)に大寺を建立の後、上野東叡山輪王寺の直轄末寺として「日月寺」と称し天台宗に属する。
山門の姥神様と天狗
山形には、姥神(うばがみ)様といわれる片ひざをたて胸をはだけた老婆の石像が、出羽三山の道中、参詣道に置かれています。
何だろうと思って先日の記事でアップした写真があったのですが、KOHARUさん(id:komekichikun) に教えていただきました。
調べてみますと、奪衣婆(だつえば)、蔵王地方では山姥(やまんば)さんなどと云われているそうです。
巨大な本堂
本堂は巨大で、幅66.9mもあり、これは奈良の大仏殿の57mよりも大きいといいます。
屋根はかつては柿(こけら)ぶきでしたが、1961年(昭和36年)9月の第2室戸台風で被災し、トタンぶきにかわったとのこと。
今に残る山岳信仰アートの数々(前半)
正面山門の虹梁(こうりょう)には「波に龍」、上に「司馬温公の幼少時の説話(水に落ちた友達を助けるため石を投げこんでみずがめをわった)大きなみずがめの割れた穴から出てくる男児」。
岩根沢町に生まれた名工、荒木(高山)文五郎が29才で手掛けた名作です。
まるで生きているような石造りの亀。手水舎ひとつも手の込んだ造作です。
この様式は、明日香にも見られる子孫繁栄を祈る姿で、こういうところにも、大和の影響が見受けられます。
本殿からもれてくる温かい光。何か懐かしいものを感じますね。つい引き寄せられます。
当社は堂内も見学自由(拝観料要、撮影自由)。次回、堂内の様子を紹介させていただきます。