ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【桃川のおたきさま】絶えることのない水の恵み 畏敬と感謝と親しみと【桃川 多伎神社】

はじめに

古来より人は、水があるところに住み集まり、クニが生まれ文化が発展しました。人々は幾世代も絶えることのない水の恵みに畏敬の念をいだき、感謝し、親しみとともに守ってきました。#新潟県村上市 #桃川のおたきさま #多伎神社 #タキツヒメ

目次

本文

桃川 多伎神社(新潟県村上市桃川)

御祭神:阿多加夜努志多伎比売命、あだかやぬしたぎひめのみこと

新潟県村上市、桃川の街から国道290号線を、山の方(魚沼方面)に車で5分ほど進んだ道路沿いに『桃川のおたきさま』が鎮座しています(10月20日参拝)

一帯は、古代の越後國磐船郡で『桃川のおたきさま』は延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう、平安時代)に記載された「磐座郡八座=磐船郡の八神社」のうちのひとつ、多伎神社にあたると、地元では伝えられています(式内社

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桃川 多伎神社 鳥居から桃川のおたきさま

道路脇の駐車スペースに、鳥居と案内板と道標が整備されています(案内板は記事末に文字起こし。興味のある方はご覧ください。)

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おたきさま 案内板

道標のあるところから、小さな道を下に降りてゆきます。

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桃川のおたきさま

宗像三女神の二女・タキツヒメ

御祭神の『阿多加夜努志多伎比売命、あだかやぬしたぎひめのみこと』は、宗像三女神の二女・タキツヒメのこと。

タキツヒメはムナカタの国から出雲のオオクニヌシに輿入れし、晩年は出雲の出雲郷(あだかえ、現在の島根県松江市東出雲町出雲郷)で過ごします。そこから『あだかや(阿太加夜)の主のタキツヒメ』が神名になりました(出雲伝承)

いつの頃か、、、はるか古い時代、なぜ遠くの出雲の国の女神さまが、越後の國に鎮座することになったのでしょうか。その経緯はわかりませんが、ぜひ一度、お詣りしたい神社でありました。

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桃川のおたきさま

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おたきさまのそばの社(コンクリート製)

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おたきさまの横の岩屋

何というみずみずしさ。

おたきさまの恵みに、古来より人々は畏敬と感謝、そして親しみの気持ちを抱いてきたことでしょう。

(2018年「新潟県の名水」に指定されました。)

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新潟県村上市には、鮭が遡上する三面川(みおもてがわ)の河口、滝の前にも多伎神社があります。

www.zero-position.com

おたきさま ご由緒(文字起こし)

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文字起こし)関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め、根小屋沢を流れ下った川が、ここで『男滝』と『女滝』の二段の大きな滝となって流れ落ちています。見えている滝は二段目の滝で、一段目の滝はこの少し上流にあります。滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎神社です。ご祭神は『阿多加夜努志多伎比売命、あだかやぬしたぎひめのみこと』と伝わっています。古代の人たちは、稲作の命である水が轟々と流れ落ちるこの二段の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社というかたちに整えられたと考えられます。桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、この場所をいつからか『おたきさま』と呼び慣わしてきました。右側の崖には、横が約2.5m、縦と奥行がともに約2mもある大きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があったという言い伝えもありますが、中世の時代に流行した山岳修験道に関係した遺跡である可能性もあります。今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるように、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治二年(1869)作の立派な『多伎神社額』が現存しています。江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤辰左衛門家に伝わった文書には、「(桃川神社と多伎神社は)二神ともに延喜式の霊地跡なり」、「桃川神社多伎神社、延喜式内旧社」などと記されています、このことは平安時代の延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』に記載される「磐座郡八座」の「多伎神社」は、この「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから桃川にあったことを物語っています。平成二十八年八月 桃川区

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