ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

奥明日香・入谷 飛鳥の最奥からアベノハルカス(天王寺)が見えた! 大仁保神社・展望台

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郷社・大仁保神社・展望台から、入谷と飛鳥遠景

奥明日香・栢森(かやのもり)の先、飛鳥川の最奥・標高450メートルの最も高い所に、入谷(にゅうだに)の大字がある。

古くは吉野~飛鳥を繋ぐ経路にあり「入谷千軒」と云われるほど賑やかだったそうだが、今は坂道の間に十軒ほどが残る小さな集落だ。

丹のとれる所、海人族のムラ、吉野~飛鳥の中継点

入谷は「にう、丹生」、水銀のとれる所が地名の起源だという。

大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)を支持する海人族が住んでいたとされ、皇子は彼らに吉野行の相談をしたり、協力を求めていたとされる。海人族は漁、航路に優れた技術をもっていたとされるが、米作り、水銀採取も行った多彩な一族であったようである」(明日香村の大字に伝わるはなし、より)

このあたり「海の人?山の人?」と混乱する人も多いと思うが、飛鳥時代にも、このような「(出雲と習合した)縄文の末裔」が、吉野~宇陀~奥明日香に多数いたということを補足しておく。

大海人皇子は、壬申の乱(じんしんのらん、672年)で、吉野を起点に大友皇子に勝利して行くが、飛鳥と吉野の中継点となる入谷の海人族との絆が原動力で、その経緯が「大海人」の由来になったと想像できる。

水神さんの大仁保神社(郷社)

入谷の一番奥、一番高いところに大仁保神社があり、展望台にもなっている。

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大仁保神社鳥居

集落から神社へは、イノシシ・シカの侵入防止柵を開け閉めしてお参りする。

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大仁保神社

奥明日香で「うさの宮」と呼ばれている「飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ) 」の郷社であるため、水神さんとは「罔象女神(みつはのめのかみ)」のこと(おたきさま)

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飛鳥からアベノハルカスが見えた!

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展望台からの景色、展望案内図

「よほど天気が良くないと」と思って来たが、お参りした日は肉眼でアベノハルカスが見えた。写真ではわかりにくいため、望遠鏡から見えた景色とあわせてアップしておく。

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指さすところ。アベノハルカス

直線距離にして50キロ前後、天気が良く大気が透明な日でないと見えないそうだがラッキーだった。

気温35°の猛暑日だったが、高地の朝夕は冷え込むのだろう。植物にも秋の気配。

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葛の葉と花。早くもクリの実

稲刈りのミサンガ?女綱(めずな)の御神体が落ちていた

入谷からの帰り道、県道を走っていると、女綱の御神体女形)がないのに気づく。見に行くと落ちていた。

毎年秋の稲刈りの頃に落ちると聞いていた。

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女綱近くの飛鳥川で水遊びする三男

(女綱の御神体、落下前、記事に写真)

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