はじめに
約12000社といわれる #菅原道真公 を祀る全国天満宮の総本社 #北野天満宮。出雲のオオクニヌシ以来、日本最大最強の御霊を鎮め祀る社であるゆえに境内配置に厳重に注意が払われたこん跡
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北野天満宮(2021年12月30日参拝)
(35.03133077669872, 135.73504381884712)/京都市上京区馬喰町/北野天満宮前のバス停から徒歩。当バス停へはJR・阪急・京阪各沿線から路線あり。駐車場あり
年末・12月30日に参拝。初もうでの準備は万端でした。
南北に長い神社で。写真は南の一の鳥居。真南ではなく、やや南東に向いた鳥居で、朝の日の光が東から射しています。
ご存知の通り、北野天満宮は 菅原道真公(845-903)を御祭神 とする、全国の天満宮の総本社。
カーブしてから北に向いた参道を通って楼門まで来ました。
年賀の装いで向かって左に藤娘、右に出雲阿国(いずものおくに)の人形が置かれていました。
出雲阿国は歌舞伎の創始者と伝わる謎多き女性。出雲の出身とされており、慶長八年(1603年、江戸幕府が開かれた年)~九年の一年間、ここ北野天満宮に定舞台を置き、男装で小唄に合わせて踊りを舞い都の人々におおいに受けたと伝えられます。
楼門そばの花手水も新年の装い。
北野天満宮 境内図に見える由緒のこん跡
北野天満宮の境内図。実に興味深い配置ですね。
特に大きな神社では、楼門(図の右下)から御本殿(茶色の垣に囲まれた御神域)まで南北一直線ということが多いですが、北野天満宮はそうではありません。
楼門と御本殿(神域)の位置がズレていますね。実はここに北野天満宮の御由緒の秘密があります。
御祭神の菅原道真公は歌人としても有名ですが、宇陀天皇(第59代)の信頼厚く右大臣(従二位)にまで出世したにもかかわらず、醍醐天皇(第60代)の御世に左大臣のライバル・藤原時平の讒言で失脚、太宰府に左遷され、当地で死没したことはよく知られています。
太宰府への旅では海路は許されず、牛車で陸路、しかも自費という苦しく長い旅を課され、太宰府では政治への一切の関与を許されずなおかつ俸給も無しという、右大臣にまで上り詰めた道真公にとっては事実上の死罪に等しいもので、左遷という現代人が持つイメージとはかけ離れたものでした。
公の没後、平安京・内裏の清涼殿への落雷事件(内裏での死者多数)は、道真公の怨霊(御霊)が起こしたものとされ、後に名誉回復され、北野天満宮に祀られることになりました。
つまり道真公は、出雲のオオクニヌシ以来、当時(平安初期)の日本最強の御霊といってもよく、都にこれ以上の災いをもたらさないよう、北野天満宮に厳重に鎮め祀られることになった・・・そのこん跡がこの境内配置なのです。