はじめに
カーブした #北野天満宮 参道を北の本殿に向かうところに #三光門(中門)。秀吉の一粒種・豊臣秀頼公の建立と伝えられます。絢爛豪華な桃山文化の美しい建物で多数の彫刻の中に三光(日月星)が描かれています #州浜紋 #隠れミッキー
目次
本文
北野天満宮 三光門(中門)
北野天満宮の御本殿へは三光門(中門)を通って南から入ります。境内図の指差しのところが三光門。
向かって左、ウン形の狛犬さんの横に立て札。
『三光門(中門)重要文化財。「天満宮」の勅額(天皇が書いた扁額)は後西天皇(第111代、江戸前期)の御宸筆である。三光門の由来は、豊富な彫刻の中に 日・月・星 があることによる』
調べますと、三光門は慶長12年(1607年)に豊臣秀吉の一粒種、秀頼(ひでより)公が建立したと伝えられています。
色彩豊かで絢爛豪華な桃山文化の風を伝え、その姿かたち、木組みや木彫りの造作・デザイン、、、いずれも完璧で美しい建物です。
【脱線】京都で探す隠れミッキー
おやっ!こんなところにミッキーとミニーの仲良しラブラブハート。
某ディズニーから何か云われそうなですが、ご安心ください。
三つの丸が重なったデザインは、日本古来より伝わり、日・月・星をあらわす 州浜(すはま)紋 です。
京都を歩いていると、時々見かけます。
ハート型のひっくり返ったのは 猪の目(いのめ)紋。火除けや厄除けのマーク。
三光門の日・月・星
立て札に書いてあった三光門の日・月・星を、門を見上げて探してみましょう。
赤い太陽と、金色の満月でしょうか。探すとすぐに見つかりました。
北野天満宮のHPで、天神さんの七不思議 | 北野天満宮 が紹介されており、その中で 星欠けの三光門 が紹介されています。
いわく『・・・門の名は日・月・星の彫刻に由来しているけれども星は天上に輝く北極星のことで、実際には刻まれていないという説。平安時代、御所の場所は現在とは異なり当宮を北西に臨む千本丸太町に位置し、帝が当宮に向かってお祈りをされる際、三光門の真上に北極星が輝いていたからだと伝えられています』ということで、赤い太陽と金色の月として紹介されています。
本当に星がないのでしょうか。。。探してみました。
星ではないですが見つけました。これ。↓。ウサギさんに挟まれて。。。
ウサギといえば月、月といえばウサギですから、スマホのカメラでズームして探していて見つけました。ヽ(^o^)丿
この上弦の月(右側が明るい)は、弦の丸い方が右斜め下に向いていますから、日の入の太陽を追いかけて西の空に沈む月です。
なぜ満月ではなく、上弦の、そして、西の空に沈む月なんでしょうかねぇ。
都から西に遠く、大宰府で落命した菅原道真公に思いを馳せた、秀頼公の弔いの気持ちのあらわれでしょうか。
あるいは自分自身の運命を悟り、やがて地平線に消える月に見立てたのか。
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さて。となれば、先ほど金色の満月と紹介したものは月ではないということになります。
星欠けの三光門と紹介されたりしていますが、金色が星であるならば、星は欠けていないことになります。
それにHP文の後半(平安時代、御所の場所は現在とは異なり当宮を北西に臨む千本丸太町に位置し、帝が当宮に向かってお祈りをされる際、三光門の真上に北極星が輝いていたからだと伝えられています)に疑問。
地球上(北半球)どこに居ても真北の夜空に輝くのが北極星ですから、北極星が御所の北西に輝くはずがありません。
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一番考えられるのは、金色に輝く星・・・金星 。
たまたまですが、今宵の上弦の月と、これは木星。南西方向、19時前。我が家より
宵の明星(金星)であれば西の日の入ごろに見えます。(一方、明けの明星は東の日の出ごろに見えます)