ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【天太玉命神社】曽我遺跡に近く高取川との合流点に鎮座する意味【曽我川 流域(2)】

まとめ

橿原市 #忌部町 #天太玉命神社。南約1キロ #玉作工房 #曽我遺跡 とともに #出雲の忌部氏 の拠点であったようです。#高取城 跡 に源を発する #高取川 と #曽我川 の合流点に鎮座しており、高取城主 #越智氏 の説話も伝えられています

目次

本文

天太玉命神社(あめのふとだまのみこと、橿原市忌部町)

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式内社 天太玉命神社

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天太玉命神社(橿原市忌部町153)

橿原市忌部町は曽我川橋の近く、ちょうど、曽我川と高取川が合流するところに鎮座しています(地図の矢印は川の流れ。さらに北上して大和川と合流)

静かな境内ですが、格式が高い式内社平安時代に作成された官製の延喜式神明帳に記載された神社)で、現在地名(忌部町)が示すように、ヤマト忌部氏拠点のこん跡として、古代史的にもたいへん重要な神社です。

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天太玉命神社 鳥居

御祭神:天太玉命(あめのふとたまのみこと)、大宮売命(おおみやのめのみこと)、豊石窓命(とよいわまどのみこと)、櫛石窓命(くしいわまどのみこと)

古代氏族・忌部氏(いんべうじ)の橿原における氏神で、太玉命(ふとだまのみこと)は忌部氏の祖先神。

出雲系?玉作の忌部氏氏神

天太玉命は、天岩戸(あまのいわと)神話にも登場する、つまり古代王朝に属した一族で、玉造(玉作)に従事した品部(しなべ、職業集団)の一族でした。

忌部氏は(元をたどれば同祖と考えられるものの)『玉を納める出雲、木を納める紀伊、木綿・麻を納める阿波、盾を納める讃岐など』と紹介されているように(Wiki)、時代が下るとともに広域に存在するようになり、このうち、天太玉命神社の一族は出雲系と推理されます。

(なお、出雲の玉作は、古代の日本海交易を通じてヒスイ加工もしていましたが、地元・玉造温泉島根県松江市)近くの花仙山(かせんざん)メノウが主でした)

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天太玉命神社 本殿

曽我遺跡(大和高田バイパスが忌部川を越えるあたり)

天太玉命神社から南約1キロで発掘調査が行われた曽我遺跡(工房遺跡)の玉類出土物の年代が、西暦500年代前後であることから、この地域での忌部氏の最盛期(また集団移住期)は古墳時代だと考えられます(曽我遺跡については別の記事で紹介します)

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天太玉命神社 本殿扁額

大和・越智氏との由縁

ずっと時代が下りますが、南北朝時代に吉野方につき、活躍した越智氏(高取城)は戦国時代まで続きましたが、その数代目の親家(ちかいえ)が「忌部神社(式内天太玉命神社)に九頭大明神を奉祀した」という説話が残っています(越智氏系図)。

越智氏の出自には複数ありますが、ひとつに伊予説もあり、忌部氏と何らかのつながりがあるのでしょうか。

高取城を源とした高取川と曽我川の合流点に鎮座するのは、越智氏と忌部氏とのつながりを暗示しているのかも知れませんね。

古代史を調べていますと、戦国時代につながることを示唆する話がありますが、これはそのひとつです。

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天太玉命神社 本殿

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天太玉命神社 本殿

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天太玉命神社 境内

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