はじめに
佐渡最北端に鎮座する#順徳皇神社。詳しい由緒はわかりませんが、鎌倉幕府打倒を試み #承久の乱 で敗れ、佐渡に流された第84代 #順徳天皇 を祀る神社。父上も隠岐に流された後鳥羽上皇。父子は日本海を見て遠く都を想いました。境内には海亀を祀る小社
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順徳皇神社(佐渡市鷲崎1920)
佐渡・最北端に鎮座する神社で、佐渡に流された第84代順徳天皇を『順徳皇大神』として祀ります。
鷲崎は小さな漁港の集落で、本殿は北の海に向かうように建てられています。
佐渡には順徳天皇ゆかりのいくつかの史跡(真野御陵、二宮神社、慶宮寺など)が残されていますが、順徳皇神社が、どういう経緯で、いつの時代に、なぜこの場所に建てられたのか、よくわからないようです。
境内の小社には立派な海亀さんが祀られていました。
通りがかりの人に聞くと、もうすぐ例祭があり、神輿の準備が進んでいるそうです。
順徳天皇(佐渡史紹介資料、Wikiより)
第84代順徳天皇(1197~1242)、在位1210~1221年(承元4年~承久3年4月、鎌倉時代)
父上皇の鎌倉討幕計画に参画するほど筋金入りの討幕派で、父に続き上皇となって承久の乱を起こすものの失敗、佐渡に流されました。
21年間を佐渡で過ごした後に崩御。真野御陵(佐渡市真野)に葬られました。諡号(しごう、いみ名)は順徳院。
和歌では藤原定家に師事するほどで、勅撰集には百五十首を越える詩や和歌が入ります。その定家の選で小倉百人一首に一首が採録されています。
ももしきや 古き軒端(のきば)のしのぶにも なほ余りある 昔なりけり(順徳院)
『宮の軒から下がっている忍ぶ草(ノキシノブ)をみて、忍んでも忍び切れない古い昔のことが思い起こされる』
古い昔とは皇威・皇権が強かった時代のことですね。