はじめに
後背の宮山を御神体として古い祭祀が今に残る #忍坂坐生根神社。ヤマト創世の歴史が積み重なった地の古社 #意柴沙加宮 #継体天皇 #息長氏 #額田部氏
目次
本文
忍坂坐生根神社(おっさかにいますいねじんじゃ)
(34.5083085, 135.8725900)/奈良県桜井市忍阪487/近鉄大阪線・大和朝倉駅から徒歩約20分。県道166号線から忍阪集落に入る。専用駐車場あり
先日紹介した忍坂坐山口神社から県道166号線を渡り、集落に入る忍阪街道筋の入口に、忍坂坐生根神社。
後背の宮山を御神体とする御本殿のない社
御祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)
当社は天平二年(730)の「大和国正税帳」に、また延長五年(925)の「延喜式内社」にも名前が見える古社で、本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する 「石神」と称する自然石十数個を並べた「磐座」があります。ここ忍阪の地は、隅田八幡宮*1所蔵の国宝人物画像鏡*2に刻まれた 意柴沙加宮(おしさかのみや) の地ともされ、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に即位される以前におられた処とされています*3。また忍阪大中姫命(おしさかおおなかひめのみこと)や衣通姫(そとおりひめ)が居られたとも伝わり、「大和史料」では額田部氏の祖・天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方、だいどうるいじゅほう」に同社相伝の「生久襧薬(いくねぐすり)」(額田部氏上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地で額田王(ぬかたのおおきみ)と鏡女王(かがみのひめみこ)姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)(第三十四代舒明天皇)の陵墓があることから 息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。拝殿の石段の左右には境内社の神女神社と愛宕神社を、北側には天満神社を祀ります。
忍坂坐生根神社 参拝
拝殿へは、境内への石橋が正面登り口となる、ちょっと変わった造り。
写真の通り、小さな石橋で、普段は脇の石段や坂から境内に入ることになります。
拝殿からの眺め。
拝殿北側の結界。由緒に書かれた石神さん(磐座、いわくら)はここにあったものと思われますが、域内には、小さな囲い石のようなものしか見当たりません。
念のため、境内の北側の山の麓を探してみましたが、石神さん(磐座)らしきものは見つけられませんでした。