はじめに
JR学研都市線 #河内磐船駅(かわちいわふねえき)前は、古墳時代の #鉄器工房跡 #森遺跡。一帯は多数の古墳をメインに弥生から鎌倉まで 各時代の遺跡が集積 #肩野物部氏
目次
本文
大阪市内、京橋から学研都市線(旧 片町線)で約二十分、河内磐船(かわちいわふね)駅(大阪府交野市、かたのし)
駅前に降り立つと、そこはすでに遺跡😀
茶色の歩道やクスノキが立つあたりの地下から、古墳時代の鉄器工房跡(鍛冶製鉄炉)が多数見つかっています。
この地域の集落を森といいます。森は古代において無垢根(むくね)村と呼ばれていました。延久年間(1069-1074)石清水八幡宮の神官・森宮内小輔公文(もりくないしょうゆくもん)が村内にある 須弥寺(しゅみじ) の観音堂を再興したことから、村人から深く敬われ、このため彼の姓をとって、村名が無垢根から森に変更されたようです。また、この周辺からは 古墳時代の集落や鉄器工房跡などの遺跡が数多く発掘されています。この時期、無垢根村は交野における中心であったと言えます。
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地図にある天田神社(あまだじんじゃ)は以前紹介したことがあります。
古墳時代の森遺跡一帯に住み、鉄器工房を運営した 肩野物部氏(物部氏の支流)の元所領で、
肩野物部氏が、飛鳥時代の推古女帝となる御食炊屋姫(ミカシキヤヒメ)に献じた地に創建された神社。
須弥寺(しゅみじ)まで
河内磐船駅から西に、古代陽石崇拝の遺跡がある須弥寺まで、徒歩約十分。
途中の酒造会社(大門酒造)の味のある看板。
写真左に写る坂のあたりが森遺跡が最初に発掘された所だそうです。
つまり、ここから河内磐船駅まで、約五百メートル以上、ず〜っと森遺跡ということ。
須弥寺遺跡
須弥寺は境内が奈良・平安・鎌倉時代の遺跡。
駅前ロータリーの案内に書いてあった石清水八幡宮の神官の観音堂の再興の後に、紆余曲折、今は須弥寺となっています。
古代陽石崇拝の遺跡
須弥寺の北側山門に「古代人陽石崇拝の遺跡」の石碑。
山の斜面の境内の高いところに登ってゆくと、鐘楼の近くにありました。
背景に見えるのは交野市(かたのし)の市街地。
須弥寺の案内。
後背の丘陵は生駒山系の北端にあたり、近くには弥生遺跡もあるところで、
その頃 石神 として、崇拝の対象になっていたのでしょう。
日本各地、古い信仰の数多くの石神さんが、時代とともに忘れられていった経緯がうかがい知れる内容ですね。
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並び方や見た感じは、箸墓古墳近くの、奈良県桜井市芝の九日神社(くにちじんじゃ)の陰陽石に似ていると思いました。