ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【忍坂坐生根神社(2)】古い時代の石神さん信仰のこん跡

はじめに

前回の続き。#忍坂坐生根神社 の案内板には #磐座(石神)、そして #陰陽石 のことが書かれていました。陽石は見つけましたが、陰石が見当たらず…しかし。#神籠石(ちご石)

目次

本文

石神さん(磐座・陰陽石)信仰のこん跡

www.zero-position.com

忍坂坐生根神社奈良県桜井市忍阪487)。

前回からの続きです。

忍坂坐生根神社

境内の案内板には、「拝殿北側に十数個の石神さんと称する磐座が並んでいる」と書かれていましたが、今は結界が結ばれた所があるだけで、それらしきものは見つけられなかったと前回報告した通りです。

掘り返されたような跡もあり、どこかに仕舞われているのかも知れません。

忍坂坐生根神社拝殿 北側の結界

「…また年代不詳の陰陽石が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。」

案内板のそばに、しめ縄が巻かれた陽石と思われる石が鎮座していました。

見る角度によりますが、上部にふくらみ(馬頭形)が見え、陽石で間違いないでしょう。

陰陽石(一基)忍坂坐生根神社

陰陽石は、男女をあらわす陰石と陽石の2つがセットのイメージですが、陰石の方は見当たらない…

と思いましたが、もう一石、しめ縄が巻かれ「金比羅大権現」と刻まれた石があり、

もしかしたら、これが(かつての)陰石なのかも知れません。

なぜなら舟形で、舟形は女性をあらわすからです

(♪コンピラフネフネ〜…いずれ😀)

街道から見ると「金」の字ひとつ、また、境内から見ると「金比羅大権現」の刻字の方が、石灯籠に隠れた状態で置かれているのが、今ひとつ不思議でした。

陰陽石のダイレクトな表現が憚(はばか)られた時代に、隠されたのかも知れませんね。

「金」「金比羅大権現」と刻まれた石。かつての陰石か?

石神さん(磐座)や陰陽石のことについて、地元の方がおられればお聞きしたかったのですが、早朝の参拝で人の姿は見えず。

またあらためたいと思います。

神籠石(じんろうせき、ちご石)

(34.5070691, 135.8735676)/奈良県桜井市忍阪781

忍坂坐生根神社の前の忍阪街道を南に5分ほど歩くと、舒明天皇陵に向かう石の道標に沿って東に向かうあたりに神籠石(じんごいし)。

「ちご石」ともいう大岩があります。

神籠石

案内板によると、岩の後ろに立っている梯子と半鐘は、かつて忍坂坐生根神社の境内にあったものだそう。

神武東征時の由来も書かれていますが、いつ誰が、ここにこのような大きな磐座を置いたのかは不明です。

神籠石(ちご石)

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