はじめに
前回の続き。#忍坂坐生根神社 の案内板には #磐座(石神)、そして #陰陽石 のことが書かれていました。陽石は見つけましたが、陰石が見当たらず…しかし。#神籠石(ちご石)
目次
本文
石神さん(磐座・陰陽石)信仰のこん跡
前回からの続きです。
境内の案内板には、「拝殿北側に十数個の石神さんと称する磐座が並んでいる」と書かれていましたが、今は結界が結ばれた所があるだけで、それらしきものは見つけられなかったと前回報告した通りです。
掘り返されたような跡もあり、どこかに仕舞われているのかも知れません。
「…また年代不詳の陰陽石が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。」
案内板のそばに、しめ縄が巻かれた陽石と思われる石が鎮座していました。
見る角度によりますが、上部にふくらみ(馬頭形)が見え、陽石で間違いないでしょう。
陰陽石は、男女をあらわす陰石と陽石の2つがセットのイメージですが、陰石の方は見当たらない…
と思いましたが、もう一石、しめ縄が巻かれ「金比羅大権現」と刻まれた石があり、
もしかしたら、これが(かつての)陰石なのかも知れません。
なぜなら舟形で、舟形は女性をあらわすからです。
(♪コンピラフネフネ〜…いずれ😀)
街道から見ると「金」の字ひとつ、また、境内から見ると「金比羅大権現」の刻字の方が、石灯籠に隠れた状態で置かれているのが、今ひとつ不思議でした。
陰陽石のダイレクトな表現が憚(はばか)られた時代に、隠されたのかも知れませんね。
石神さん(磐座)や陰陽石のことについて、地元の方がおられればお聞きしたかったのですが、早朝の参拝で人の姿は見えず。
またあらためたいと思います。
神籠石(じんろうせき、ちご石)
(34.5070691, 135.8735676)/奈良県桜井市忍阪781
忍坂坐生根神社の前の忍阪街道を南に5分ほど歩くと、舒明天皇陵に向かう石の道標に沿って東に向かうあたりに神籠石(じんごいし)。
「ちご石」ともいう大岩があります。
案内板によると、岩の後ろに立っている梯子と半鐘は、かつて忍坂坐生根神社の境内にあったものだそう。
神武東征時の由来も書かれていますが、いつ誰が、ここにこのような大きな磐座を置いたのかは不明です。