はじめに
奈良県桜井市の #忍坂坐生根神社(おっさかにいますいねじんじゃ)と同名の住吉さん #奥の天神 と云われる #生根神社。歴史ある二つの社には共通点がいくつもありました
目次
本文
大阪・住吉さんの南北ライン
大阪の住吉大社の北に、奥の天神さんとも云われる生根神社 が鎮座しています。
江戸期の摂州住吉宮地全図には、住吉大社の南北ライン(黄ライン)が意識して描かれており、
この北の起点(奥)が、生根神社。
創建時の海辺に向かって、参道~本殿が東西に並ぶ(赤ライン)住吉大社にしては、ちょっと不思議な感じですよね。
さらに興味深いのは、この南北のラインを南に延ばしてゆくと、仁徳天皇陵の中心墓域を指します。
この事実から、住吉大社は、
【東西ライン】古墳時代の幕を開けた西(北九州)からやってきた勢力の根源(先祖)を祈るとともに、
【南北ライン】その血脈である偉大な大王の再生と復活、あるいは血族の繁栄を祈る、巨大な配置であったことがうかがえます。
子孫繁栄と回春の生根神社(種貸社)
生根神社は、
① 少彦名神(医薬の神様でもある)を御祭神とし、
② 出征中に八幡神・応神天皇(第15代)を出産した神功皇后(じんくうこうごう、息長足姫おきながたらしひめ*1)の事績が伝えられ、
③ お爺さんとお婆さんから生まれた一寸法師の物語とともに、夫婦が使った回春効果の何首鳥(カシュウ)という和薬伝承が残り、
③ 関連して、現在は住吉大社の境内社となっている一粒万倍・子孫繁栄の種貸社(たねかししゃ)の元社が鎮座しています。
共通点を探しに忍坂坐生根神社
忍坂坐生根神社(おっさかにいますいねじんじゃ)に参拝したのは、生根神社 との繋がりや、
大阪住吉の生根神社との共通点を探す目的もありました。
とりあえず共通点を挙げておきます。
① 少彦名神を御祭神としている
② 神功皇后は、息長足姫の名の通り、息長(おきなが)氏系で、当社は息長氏の大和の拠点のひとつであった
(これに関連して忍坂に舒明天皇陵。舒明天皇は息長足日広額天皇の和風諡号を持つ)
③ 息長氏の後裔である額田部氏の「生久襧薬(いくねぐすり)」が伝わっていた
④ 陰陽石があり、男女和合、子孫繁栄の祈りの場所であったこん跡が種貸社と同じ
この他、住吉の生根神社が「奥の天神」と呼ばれるのは、菅原道真公の天神社が鎮座しているからですが、忍坂坐生根神社にも道真公を祀る天満神社があります。
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まさか、これほどの共通点があるとは予想もしていませんでした。
さて、これをどう考えるか…まだ頭が追い付いていませんが、ひとまず報告ということであげておきました。
*1:安産・子育ての女神とも云われる