ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【住吉さんの生根神社】神社繋がりの面白さ【忍坂坐生根神社(3)】

はじめに

奈良県桜井市の #忍坂坐生根神社(おっさかにいますいねじんじゃ)と同名の住吉さん #奥の天神 と云われる #生根神社。歴史ある二つの社には共通点がいくつもありました

目次

本文

大阪・住吉さんの南北ライン

大阪の住吉大社の北に、奥の天神さんとも云われる生根神社 が鎮座しています。

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江戸期の摂州住吉宮地全図には、住吉大社の南北ライン(黄ライン)が意識して描かれており、

奥の天神(生根神社)-石舞台-神主館(行宮跡)の南北ライン(摂州住吉宮地全図)

この北の起点(奥)が、生根神社

創建時の海辺に向かって、参道~本殿が東西に並ぶ(赤ライン)住吉大社にしては、ちょっと不思議な感じですよね。

さらに興味深いのは、この南北のラインを南に延ばしてゆくと、仁徳天皇陵の中心墓域を指します。

住吉大社の南北ラインは仁徳天皇陵の中心墓域を指す

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この事実から、住吉大社は、

【東西ライン】古墳時代の幕を開けた西(北九州)からやってきた勢力の根源(先祖)を祈るとともに、

【南北ライン】その血脈である偉大な大王の再生と復活、あるいは血族の繁栄を祈る、巨大な配置であったことがうかがえます。

子孫繁栄と回春の生根神社(種貸社)

左)生根神社御由緒 右)安産を想起させる種貸社(住吉大社境内社)の一寸法師の手水舎

生根神社は、

少彦名神(医薬の神様でもある)を御祭神とし、

② 出征中に八幡神応神天皇(第15代)を出産した神功皇后(じんくうこうごう、息長足姫おきながたらしひめ*1)の事績が伝えられ、

③ お爺さんとお婆さんから生まれた一寸法師の物語とともに、夫婦が使った回春効果の何首鳥(カシュウ)という和薬伝承が残り、

③ 関連して、現在は住吉大社境内社となっている一粒万倍・子孫繁栄の種貸社(たねかししゃ)の元社が鎮座しています。

生根神社境内の種貸神社

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共通点を探しに忍坂坐生根神社

忍坂坐生根神社(おっさかにいますいねじんじゃ)に参拝したのは、生根神社 との繋がりや、

大阪住吉の生根神社との共通点を探す目的もありました。

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忍坂坐生根神社 御由緒

とりあえず共通点を挙げておきます。

少彦名神を御祭神としている

神功皇后は、息長足姫の名の通り、息長(おきなが)氏系で、当社は息長氏の大和の拠点のひとつであった

(これに関連して忍坂に舒明天皇陵。舒明天皇は息長足日広額天皇の和風諡号を持つ)

③ 息長氏の後裔である額田部氏の「生久襧薬(いくねぐすり)」が伝わっていた

陰陽石があり、男女和合、子孫繁栄の祈りの場所であったこん跡が種貸社と同じ

この他、住吉の生根神社が「奥の天神」と呼ばれるのは、菅原道真公の天神社が鎮座しているからですが、忍坂坐生根神社にも道真公を祀る天満神社があります。

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まさか、これほどの共通点があるとは予想もしていませんでした。

さて、これをどう考えるか…まだ頭が追い付いていませんが、ひとまず報告ということであげておきました。

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*1:安産・子育ての女神とも云われる