はじめに
平安京 #京都御所 東北の #猿が辻。角のない築地塀は魔が入り込まないカタチ。屋根裏の烏帽子の #神猿 は、比叡山の麓 #赤山禅院 の神猿と見つめ合う関係で #皇城表鬼門 を見張る結界を結んでいます
目次
本文
比叡山の京都側の麓、修学院離宮の北側に赤山禅院(せきざんぜんいん)があります。
赤山禅院(せきざんぜんいん)
修学院離宮に進む道の手前に赤山道の道標。左に進むと赤山大明神と書かれた扁額の鳥居が見えてきます。
第三世天台座主、慈覚大師・円仁(遣唐使であった)の遺命により、弟子の第四世安慧(あんね)が創建した天台寺院。
御本尊の赤山明神は、陰陽道の祖神とされる中国・赤山の泰山府君(たいざんふくん)を勧請(お招き)したものといいます。
(京都市の説明板は、記事末に文字起こし)
平安京の表鬼門を見張る神猿(まさる)
御拝殿の屋根の上、金色の神猿(まさる)像が置かれています。
天台宗は神猿を神使とする山王神を守護神としており、比叡山・琵琶湖側の麓に鎮座する日吉大社・西本宮楼門にも神猿像がデザインされています。
赤山禅院の神猿は、京都御所、東北隅(表鬼門)の猿が辻に向いています。
つまり、日吉大社-赤山禅院-猿が辻の、いわゆる結界で、平安京・京都御所の表鬼門を見張り、守るラインをつくっています。
御拝殿前の小祠の中から先代の神猿が、屋根上の現役の神猿の方を見て、仕事のお作法を教えているそうです。
京都御所・猿が辻の神猿
京都御所の猿が辻の築地塀には東北角がありません。「魔」「厄」が角から侵入するのを防ぐ意味があるとのこと。
築地塀の屋根裏の空間に神猿。ここの神猿は烏帽子を被り、赤山禅院を向いています。
猿に烏帽子で三番叟(さんばそう)ですね。どうやらここが起源かと思われます。
いずれの神猿も籠に入れられているのは、夜な夜な徘徊して騒がないようにするためといいます。
京都市説明板)仁和四年(888)天台座主安慧(あんね、第四世)が、師の慈覚大師円仁(第三世)の遺命によって創建した天台宗の寺院である。本尊の赤山明神は、慈覚大師が中国の赤山にある泰山府君(たいざんふくん、陰陽道祖神)を勧請したもので、天台の守護神である。後水尾上皇の修学院離宮御幸の時には、上皇より社殿の修築及び、赤山大明神の勅額(ちょくがく、上皇の直筆の扁額)を賜った。御神体は、毘沙門天に似た武将を象る神像で、延命富貴の神とされている。この地は、京都の東北表鬼門にあたることから、当院は、方除けの神として人々の崇敬を集めている。また赤山明神の祭日にあたる5日に当院に参詣して懸取り(かけとり)に回ると、よく集金ができるといわれ、商人たちの信仰も厚く、俗に五日払いといわれる商習慣ができたと伝えられている。閑静なこの地には、松、楓が多く、秋には紅葉の名所として多くの人々で賑わう(京都市)