はじめに
京都・太秦(うずまさ)松竹映画撮影所の南、住宅街に #蛇塚古墳。京都府では最大の横穴式石室を持つ前方後円墳(7世紀ごろ。古墳時代後期末)当地で繁栄した #秦氏 の首長クラスの墳墓と考えられています
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蛇塚古墳(へびづかこふん)
(35.01213913579686, 135.70017898078507)/京都市右京区太秦面影町/京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅から南に徒歩10分。住宅地のため駐車場はありません。
衛星地図で見ると前方後円墳であったこん跡が見えます。
古墳を覆っていた土が無くなり、石室が露わになった姿は、奈良県明日香村の石舞台古墳と同じ。
古墳時代後期末(7世紀ごろ)の築造で、全長約75m、京都府では最大の横穴式石室を持つ前方後円墳。
案内板より)石棺を安置する玄室の幅は石舞台古墳よりも大きく、床面積では三重県高倉山、岡山県こうもり塚、石舞台古墳に次ぐ、全国第4位の規模。・・・太秦を含む嵯峨野一帯は、渡来系の秦一族により開発されたものと考えられており、京都盆地でも有数の古墳分布地区である。蛇塚古墳は、その規模や墳丘の形態などからみて首長クラスの墓と考えられる。蛇塚という名は、石室内に蛇が棲息していたことから付けられた呼び名である。
古墳巡りツアーに参加して、古墳の石室内部を見学することができました。
(個人で見学したい場合、事前申し込みが必要。記事末リンク先に申し込み方法)
天井石は消失しており、明るい日差しが石室を照らしています。
ガイドさんの話によると、ここで映画・羅城門(1950年)が撮られたほか、座頭市で有名な勝新太郎さんが撮影の合い間、撮影所を抜け出して岩に座ってタバコをくゆらせていたそうです。
石材は京北産のチャート(堆積岩)
使用されている石材は、京北(けいほく、京都市北部)産のチャート堆積岩とのこと。
筋状の堆積層が見えますね。
京北からは、清滝川(きよたきがわ)系、大堰川(おおいがわ)系の二系統があります。いずれも川下りで有名な保津峡から桂川に名が変わる水系です。
大堰川の流れ。指差し上は以前紹介した平安京造営で材木を供出した京北の山國神社(京都市右京区京北鳥居町)辺り、指差し下が当地・太秦。
清滝川は愛宕山の東を南下、保津峡で桂川(大堰川)と合流します。
京北からイカダや丸木舟で運ばれた木材は、太秦で西高瀬川(運河)に入り、東の平安京に運び込まれました。
もちろん、重い石材も同じ水運で運ばれたと考えられます。
先の衛星写真、前方部の下(写真左下)を流れるのが西高瀬川。蛇塚古墳とは50メートルぐらいしか離れてません(写真中央。左は西の方、右は東の方)
なお、桂川は石清水八幡宮が鎮座する男山(おとこやま)北部で、宇治川・木津川と三川合流の後、淀川となり、大阪に流れてゆきます。