東京で週末仕事だったが三社祭を見たくて、浅草に近いホテルをむりやり取った。
スカイツリーがよく見えるとフロントで奨められた合羽橋商店街からまっすぐ浅草寺に向かった。
雷門のある仲見世通りから入るのとは違うルートだ。
西の方から入ると本堂と五重塔と夜店の賑わい。祭りの気分が一気に高まる。
境内に「寅さん」が居た。男前すぎるがまぁ気にしないでおこう。笑
今から約千四百年前(推古天皇の時代)、当時、海だった隅田川から漁師兄弟の「檜前浜成命(ひのくまのはまなり)」と「檜前竹成命(ひのくまのたけなり)」が観音像を引き上げ、それを「土師真中知命(はじのまつち)」に見せたところ、これは大層なものだと祀ったことが始まりだそうだ。
それで、ご神紋は漁師の網を表しているという。
意外だったのは、土師真中知命が、埴輪(はにわ)造りの良土を探して摂津河内(現在の藤井寺、土師ノ里)から、遠く浅草にたどり着いた土師一族の末裔であったこと。(令和元年、三社祭公式読本より)
思わぬところで新しい話に出会えた。
古墳(前方後円墳)がどのようにして関東以北にまで広がったのか、手掛かりになる話だ。
祭の多くは「見る人」と「祭りをする人」の境界がはっきりしているが、三社祭は境がなく、何度もいつの間にか巻き込まれていた。
機会があれば、また「参加」したい祭りだ。
神輿が通る祭の期間中だけ、南門の大提灯は畳まれる。