ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

物部さん考(7)嶋大臣。実は仇敵のあだ名を付けられていた馬子 ★★

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

私が蘇我氏の実在を疑い、物部氏の事跡を暗示するために創作されたキャラクターだと考えるもうひとつの理由。

蘇我馬子(そがのうまこ)が、嶋大臣(しまのおおおみ)と「あだ名」で呼ばれていたのはご存知だろうか。

日本書紀には、馬子が「嶋大臣」のあだ名で何度か登場する

邸宅に島を浮かべた池があったことからそう呼ばれたそうだ。

家於飛鳥河之傍、乃庭中開小池、仍興小嶋於池中、故時人曰嶋大臣

飛鳥河(あすかがわ、大和国高市郡の稲淵山から大和川に合流する川)のほとりに家があり、住んでいた。その庭の中に小さな池があり、小さな島をその池の中に作っていた。その時代の人は嶋大臣(しまのおおおみ)と呼んでいた。

考えるに、馬子の時代、日本庭園のようなものであったとは考えられない。日本庭園の趣向は金閣寺銀閣寺の北山文化以降だからだ。

では馬子が日本庭園の起源を創ったのだろうか? 答えは「NO」。

それは浮島(ウキシマ)のことだ

物部氏の十種神宝(とくさのかんだから)を以前に紹介した

そして、その中の生玉(いくたま)と足玉(たるたま)は男女一対、弥生の海退期のクニウミ摂理を神格化したもので、イザナギイザナミのモデルと考えた。

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国々が生まれる様子、八十嶋(やそしま)信仰を「ウキシマ」で浸透させたのが物部氏

浮島系の神社(自然の岩礁や小島、イワクラを含む)が信仰の対象となり、全国に存在する理由。

浮島はクニウミ、つまり、物部信仰の核心だが、馬子が自宅の庭に、仇敵を象徴するものを置いてわざわざ「拝む」だろうか。

住吉大社・南の鳥居のそば、浅澤社。

典型的な浮島系。アオコが多くてわかりづらいが、水面をかきつばたが彩っていた。住吉さん自身も浮島系の神社。

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住吉大社 浅澤社

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しかもよりによって、その「あだ名」で呼ばれる必要があるだろうか。

少し混み入った表現をしたが、

要するに、蘇我氏物部氏として日本書紀を読めば、話は簡単だ

古代河内(大阪)のウォーターフロントには物部氏の記憶(遺跡や地名)が広範囲に明確に残っているのに、飛鳥(明日香、奈良)ではそうでない。

その理由は蘇我氏の存在感が大き過ぎるから。

一方、古代河内には蘇我氏の存在を示唆する遺跡や地名は「皆無」。

古代の河内と飛鳥の記憶には絶対的な温度差がある

百舌鳥・古市古墳群世界遺産になることが、ほぼ確実になった。

これを機に、そろそろ物部氏蘇我氏、河内と飛鳥の差について、じっくり考えても良い時期に来ていると思う。

なぜなら墳墓は国の「サカイ」に造られるものであるし、あれほどの大規模かつ集中的な造営には、それに応じた労働力や技術の集積を持つ物部氏でないと不可能だ。

そして物部氏が滅んだ瞬間に古墳時代が終わる事実

次回、そのあたりを整理しておこうと思います。

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