古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
私が蘇我氏の実在を疑い、物部氏の事跡を暗示するために創作されたキャラクターだと考えるもうひとつの理由。
蘇我馬子(そがのうまこ)が、嶋大臣(しまのおおおみ)と「あだ名」で呼ばれていたのはご存知だろうか。
日本書紀には、馬子が「嶋大臣」のあだ名で何度か登場する
邸宅に島を浮かべた池があったことからそう呼ばれたそうだ。
家於飛鳥河之傍、乃庭中開小池、仍興小嶋於池中、故時人曰嶋大臣
飛鳥河(あすかがわ、大和国高市郡の稲淵山から大和川に合流する川)のほとりに家があり、住んでいた。その庭の中に小さな池があり、小さな島をその池の中に作っていた。その時代の人は嶋大臣(しまのおおおみ)と呼んでいた。
考えるに、馬子の時代、日本庭園のようなものであったとは考えられない。日本庭園の趣向は金閣寺・銀閣寺の北山文化以降だからだ。
では馬子が日本庭園の起源を創ったのだろうか? 答えは「NO」。
それは浮島(ウキシマ)のことだ
物部氏の十種神宝(とくさのかんだから)を以前に紹介した
そして、その中の生玉(いくたま)と足玉(たるたま)は男女一対、弥生の海退期のクニウミ摂理を神格化したもので、イザナギ・イザナミのモデルと考えた。
国々が生まれる様子、八十嶋(やそしま)信仰を「ウキシマ」で浸透させたのが物部氏だ
浮島系の神社(自然の岩礁や小島、イワクラを含む)が信仰の対象となり、全国に存在する理由。
浮島はクニウミ、つまり、物部信仰の核心だが、馬子が自宅の庭に、仇敵を象徴するものを置いてわざわざ「拝む」だろうか。
住吉大社・南の鳥居のそば、浅澤社。
典型的な浮島系。アオコが多くてわかりづらいが、水面をかきつばたが彩っていた。住吉さん自身も浮島系の神社。
しかもよりによって、その「あだ名」で呼ばれる必要があるだろうか。
少し混み入った表現をしたが、
要するに、蘇我氏=物部氏として日本書紀を読めば、話は簡単だ
古代河内(大阪)のウォーターフロントには物部氏の記憶(遺跡や地名)が広範囲に明確に残っているのに、飛鳥(明日香、奈良)ではそうでない。
その理由は蘇我氏の存在感が大き過ぎるから。
一方、古代河内には蘇我氏の存在を示唆する遺跡や地名は「皆無」。
古代の河内と飛鳥の記憶には絶対的な温度差がある
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産になることが、ほぼ確実になった。
これを機に、そろそろ物部氏と蘇我氏、河内と飛鳥の差について、じっくり考えても良い時期に来ていると思う。
なぜなら墳墓は国の「サカイ」に造られるものであるし、あれほどの大規模かつ集中的な造営には、それに応じた労働力や技術の集積を持つ物部氏でないと不可能だ。
そして物部氏が滅んだ瞬間に古墳時代が終わる事実
次回、そのあたりを整理しておこうと思います。
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