ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

京都御苑・九条邸跡 厳島神社 古代の浮島様式と日本庭園のコラボ 美しい景色【シマから遥拝するクニウミ式】

京都御苑・九条邸跡、九条池、茶室の拾翠亭(しゅうすいてい)、鎮守の厳島神社の中島。

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京都御苑 九条邸跡 厳島神社

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義理の姉が来阪したものの、当日朝になって元々の予定がなくなり、急きょ私をアッシーに京都御所を見学することになった。

増加する外国人観光客対策の結果、事前登録・予約無しで京都御所に入場できるようになったのはつい最近だ。

紫宸殿(ししんでん)。天皇から見て(南面して)左近の桜、右近の橘。

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紫宸殿

紫宸殿南側の建礼門(けんれいもん)古くは天皇専用の門。

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建礼門

建礼門から南に真っ直ぐ。京都御苑南端にある九条邸跡と九条池。

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京都御苑 九条邸跡 九条池

御所見学の後、京都御苑の森を歩き、南端の厳島神社のある九条邸跡に行った。入場は無料。

九条池があり、畔の茶室の拾翠亭(しゅうすいてい)の景色は金閣銀閣に似た日本庭園であるのだが、池の中央に厳島神社の鳥居(平清盛建立)から半島状に突き出した「シマ(中島)」がある。

これは生島足島神社(長野県上田市)で見た出雲式「池心宮」に似て、古代の浮島(ウキシマ)神社の様式が混ざったたいへん珍しい景色だ。

つまり、九条池は「神池」でもある。

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社の由緒には、広島の本家・厳島神社を崇敬した平清盛公が、兵庫の祭島に勘請した社を、拾翠亭に移したもので、以降、九条邸の鎮守(ちんじゅ、守り神)となった、と書かれている。

平清盛建立、唐破風鳥居、重要美術品。奥が弁財天の扁額のある厳島神社の小社。

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唐破風鳥居

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厳島神社 市杵島姫(弁天さん)

鳥居から突き出した半島状の「シマ」中島。シマから遥拝するクニウミ式。サルスベリの花。

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京都御苑 厳島神社

「シマ」から拾翠亭。藤棚。今は緑の美しい景色。

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拾翠亭

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九条池 入口

(入り口説明、文字起こし)九条邸跡。九条家五摂家のひとつで平安後期以降、多くの人が朝廷の重要職である摂政や関白につきました。その娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子もその一人です。江戸末期、米総領事ハリスの通商条約締結要請に対し徳川幕府は了解する考えでしたが、朝廷側の考明天皇は反対でした。折しも京都市内では、幕府と朝廷との様々な交渉が行われ、時の関白九条尚忠の邸もその舞台のひとつとなりました。広大だった屋敷も、今では池の畔の茶室の拾翠亭(しゅうすいてい)と、九条邸の鎮守だった厳島神社が中島に残るばかりです。

厳島神社の由緒。宗像三女神のほか清盛公の母(祇園女御)も合祀されている。

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京都御苑 厳島神社 由緒

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九条邸跡周辺の京都御苑で撮影したものいくつか。御所・建礼門ほか

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京都御苑 蛤御門 弾痕 幕末

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