祭りの魅力 岡本太郎 (全文、昭和45年3月8日、毎日新聞掲載)
祭りもいよいよ目前だ。すべてのパビリオンが装いをこらして、幕あきを待つ。こころよい緊迫感が千里の会場全体にみなぎっている。
私がはじめてテーマ展示プロデューサーを引き受けたころ、いったい万国博とはどんなものなのか、みんなが手さぐりの状態だったし、二年やそこらで出来るだろうかという懐疑的な気分が大勢を占めていた。
それにもまして、当事者がいちばん気にしていたのは、外国人に見られて恥ずかしくないもの、世界に対してみっともなくないものが出来るだろうか、という心配。モントリオールに負けるな、とコチンコチンになっているように見えた。
私はそんな考えには大反対だ。だから公言した。及第点をとろうとアクセクするなんて卑しい。失敗した方がいいんだ。そのくらいの気構えで、ベラボーなものを作るべきだと。「失敗?それは困る」と色をなしたお偉方もあったが。
日本人は勤勉でまじめだ。ムキになる。間違いないものを、期日までにきちんと作り上げるだろう。しかし用心しいしい、やっと八十点とったというようなものがズラッと並んでも、少しも楽しくはない。思いきって自分のやりたいことをやって、よかろうが悪かろうが、これだ、という平気なふくらみ。それが祭りの魅力になる。
さらに、世界の人の日本人観、またわれわれ自身がもっている日本人像が、万国博を機に新しい生気をおびるというチャンスにしたい。
・・・間もなく結果があらわれるが、私はこのはじめての大仕事はやはり日本にとって貴重な経験であり、これから深い、幅広い影響が出てくると思っている。会場全体を見わたして、私はその点、成功したと思う。
私の受持ったテーマ館についていえば、もうすっかり出来上がった。「太陽の塔」は誇らかに青空にそびえ、「青春の塔」も彩りあざやかに躍動している。頭に思い描き、また模型を作って確かめた、そのとおりの姿なのだが、やはり実際の大きさになるとものすごい。これが自分の作ったものかとあきれるばかりのベラボウさだ。シンボルゾーンをおおう大屋根と呼応して、迫力のある空間を現出した。過去・現在・未来の世界がそれぞれに独自に充実しながら響きあい、まさにマンダラの宇宙をかたちづくっている。
しかし、万国博は見世物ではない。参加した人は、自分が祭りを盛り上げるのだという気迫で楽しんでほしい。たとえ何もなくても、この巨大な場で、世界中の人間がぶつかりあい、魂をひらききればよいのだ。(万国博テーマ展示プロデューサー)