ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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弘法大師の母方血脈と平安京での足跡【京都嵯峨野 阿刀神社(捕捉)】

はじめに

弘法大師 #空海さん の平安京での活躍の根源を考える時、母方 #阿刀氏 の動きは参考になります。先日紹介した嵯峨野 #阿刀神社 の由緒を補足。阿刀氏は #饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫 #味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とする物部氏の支族で大和国 #石上氏(石上神宮社家)と同祖

目次

本文

京都嵯峨野 阿刀神社一帯の景色の変化

先日紹介した、京都嵯峨野の阿刀神社(あとうじんじゃ)。

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よく参考にしている新撰京都名所図会に、出版当時、昭和34年の図絵。

昭和の半ば、土地開発がまだ進んでいなかった往年の京都嵯峨野の様子が描かれています(私がカワイイ二歳の頃。)

阿刀神社は有栖川にかかる安堵橋の北東、田畑の中にひっそりと鎮座していた様子。

新撰京都名所図会(昭和34年)

一帯の景色が大きく変わっていることがわかりますね。

現在の阿刀神社一帯と嵯峨野

阿刀氏が繁栄していた頃(平安時代)のこの地は、水豊か、水はけのよい最高レベルの水田地帯であったことが窺われます。

秦氏が盤踞した太秦(うずまさ)は、嵯峨野より下った一帯(阿刀神社の南東)に隣接します。

【阿刀神社を向く(可能性がある)太秦の垂箕山古墳(片平大塚山古墳)】

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古い嵯峨野の景色は、広沢池や千代の古道でみることができます。

嵯峨野の景色 ①広沢池 ②愛宕山

新撰京都名所図会(昭和34年) 阿刀神社の項(文字起こし)

(阿刀神社は)阿刀氏の祖神を祀る氏神社で、嵯峨野のほぼ中央にあり、はるかに北嵯峨の山々を望む景勝の地にあるが、社殿一宇あるのみですこぶるわびしい。されど、社格は高く、貞観八年(867)閏三月に従五位下を授けられ、延喜の制には小社となり*1、国家の祭祀にあずかった。阿刀氏は饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫、味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とする物部氏の支族 で、その本貫は河内国渋川郡跡部にあり、平安遷都にあたってこの地に移住し、併せて己が祖神をも遷座したものであろう。なお 阿刀氏は石上(いそのかみ)氏と同祖 といわれ、延暦二十三年(805)二月、両氏の祖神を祀る 大和国石上神宮の器杖 を、この地に遷座したことがあった。なおこの旧地は右京区嵯峨新宮町といい、阿刀神社の西北約六五〇メートル、油掛地蔵の北にして、明治維新までは 新宮の杜 とよぶ一叢の森の中に小祠があったが、今は田畑となっている。

説明文は、新撰姓氏録平安時代成立)および先代旧事本記(物部氏の家系資料)に基づいて書かれたものと考えられ、現在、ネット等で「阿刀氏」を検索して書かれている内容と合致しています。

前回記事、東寺執行・阿刀家の氏神であった石上布留社(いしのかみふるしゃ)は、石上神宮奈良県)から勧請した嵯峨野の阿刀神社から、阿刀家の移住とともに遷座した社と考えることが出来ます。

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ところで、石上神宮の器杖 とは何でしょうか。杖の形をしたもの。。。『賢者の杖』のようなものでしょうか。

母方の阿刀氏・石上氏からあらわれた 弘法大師空海さん

四天王寺 大師堂 錫杖(しゃくじょう)を持つ弘法大師

文中の「新宮の杜」をグーグル地図で探してみました。名称など書かれていませんが、私有の田畑の中に、怪しげな茂み(森)があり、そのあたりかも知れません(座標情報:35.02341884711222, 135.6855517625595)

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*1:延喜式内社の社格になること