久延彦神社(知恵の神様)にお参りしてから、御神体の三輪山の登拝口となっている狭井神社(さいじんじゃ)に向かう。
鳥居をくぐって左側にある朱色の鳥居が、市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)だ。
大神神社では三輪明神の荒魂(あらみたま)をまつるとされているが、この神域からは、むしろ、女性的な母性、おだやかな優しさを感じる。


案内板に書かれているように、桜井市茅原にある大神神社末社の厳島社(いつくしましゃ)から勧請されたお社。
シマに天の浮橋(太鼓橋)を渡る浮島神社の様式だ。
浮島の様式は、たくさんの神社に残るが、現在、古代のままの姿を残している例は少ない。
生島足島神社では、周囲を「神池」、浮橋をわたった本殿のある所を「神島」と呼ぶ。
形だけでも太鼓橋が残っている神社は「辺津 ⇒ 浮橋(神池) ⇒ シマ(神島) ⇒ 本殿(神のお社)」の流れを考えてお参りする。
(神池は心字池などとして形を変え、日本庭園化されて残っていることが多い)
狭井神社の創建時(紀元前)には、このあたりに辺津の磐座群を祀る場所があったのだろう。
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宗像三女神は、辺津宮(へつぐう、高宮祭祀)にイチキシマ姫、中津宮(なかつぐう、大島)にタキツ姫、沖津宮(おきつぐう、沖の島)にタゴリ姫がおられる。
登拝したことがある人は知っていると思うが、三輪山には、中腹に中津の磐座、頂に奥津の磐座がある。
神奈備(かむなび)の山には「津」がある。つまり、
三輪山は辺津から渡る「神の島」で、それぞれの依り代に巫女神(みこがみ)がおられる
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イチキシマ姫は七福神の弁財天(べんざいてん)、弁天さま。水(辺)と芸能の女神様でもある。
神前で舞い唄う姫巫女(ひめみこ)の美しさへの称賛や憧れ、それに応える厳しい研鑽が起源ではないだろうか。
姫巫女は古代の「スタア」だったのかも知れない。