ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

日本史上最大の水の祭祀史跡 神泉苑 祇園祭発祥の地 雨乞いのオールスター

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東寺 真言宗 神泉苑京都市中京区御池通神泉苑町東入門前町166。二条城の南

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東寺の所有でありながら鳥居。立て札の内容を記事末に文字起こし

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中央に空海さんが勧請した善女龍王社。朱色の反り橋は法成橋。周囲の池は法成就池

造営時、南北500m×東西250mの巨大さ

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京都市平安京創生館のジオラマ。各専門家が平安京の細部にわたり数年かけて復元。中央が神泉苑。北側に大内裏(皇居)。神泉苑の左右の路を数キロ南に下った区画に東寺

現在の地図に描いてみた。二条城のほぼ半分と南側の町域が平安京造営時の神泉苑

南北四丁(500m)東西二丁(250m)の巨体な禁苑(きんえん)、皇居の庭。

現在の境内地は造営時のほぼ中心になる。

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現在の地図に往時(最大時)の神泉苑を表示。北は二条通。南は三条通。東西は東寺の区画に合わせて作成。二条城は東西南北が少し傾いている

平安初期・祭祀に加え、遊宴や舟遊の場としてスタート

ジオラマでも再現されている通り、苑内には大きな池と中嶋(シマ)があった。

舟か、おそらく池の中に造られた参道(縄手)を通ってシマに渡ったと思う。

クニビキまたはクニウミを表現した古代神社様式だ。

(日本庭園は神泉苑より数百年後、金閣寺銀閣寺の時代の話となる)

この広大な皇居の庭では、祭祀に加えて、さまざまな行事(歓花、遊宴、舟遊、弓射、相撲など)が行われたという。

はじまりの頃は、神社としての古式と、庭園としての趣向の利用が混ざっていたようだ。

平安京・地下水脈の湧水地

京都は北部の貴船・鞍馬から、南部の伏見(巨椋池)に至るまで勾配がある。北部は花こう岩質の多い山と丘陵、南部は当時、湿地帯で、北部からの地下水脈がこのあたりで湧き出す地形で、そこに神泉苑が造られたそうだ。

平安中期、空海さんの祈雨、祇園祭・御霊会、小野小町

天長元年(824年)の大旱魃弘法大師空海が雨乞いをするよう天皇から命令され、その際にチベットの善女龍王を勧請(かんじょう、おまねき)し、雨を降らせたという。

貞観11年(869年)66本の鉾を立てて御霊会(ごりょうえ)の厄払いが行なわれた。これが祇園祭の鉾巡行の起源となった。

この時期から湧水の豊富な神泉苑は宗教的な雨乞いの場となるとともに、水は下流の田畑や都の灌漑、汲み水に利用されるようになる。

平安中~末期には、名僧に混じって小野小町が祈雨の歌を奉納したり、義経記静御前(しずかごぜん)が雨乞いの舞を舞ったりした。

ことはりや 日の本ならば 照りもせめ さりとてもまた 天が下とは(小野小町

理屈から言ってこの国が「日の本」だから仕方ない。しかし世界を「天が下」ともいうのだから雨を降らせてくれないだろうか?

文学女子らしく「理屈」で雨乞いを天に説く姿が可笑しい。

この時代、天に雨を乞うには、巷で評判の美人を起用する、みたいな信仰でもあったのだろうか。

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(左)毎年の恵方に向きを変える恵方社。(右)もちろん弁天さんもおられる

立て札(文字起こし)

延暦十三年(794)桓武天皇平安京を造営する際、宮中の付属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。境域は南北四丁東西二丁に及び、苑内には大池と中嶋の他、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。歴代の天皇行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、弘仁三年(812)嵯峨天皇は日本で初めての桜子花見の詩宴を催した。弘法大師空海は天長元年(824)日本中の旱天の際、勅命により善女龍王を勘請し祈雨の法を修した。以降、神泉苑は名僧が競って請雨法を行う霊場となった。貞観五年(863)には初めて神泉苑で御霊会が執行され、それが祇園祭の発祥となった。当苑の法成就池が「御池通」の由来にもなり、また五位鷺の名称や静御膳の祈雨の舞、小野小町の歌など多くのあらゆる由緒を持つ。現在は国指定の史跡であり東寺真言宗の寺院である。

さらに詳しくは知りたい方は、記事末の案内板の文字起し、またはWikiを参照してください

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