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産湯稲荷神社(うぶゆいなりじんじゃ)
創建不詳。御祭神は三柱。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。下照比売命(したてるひめのみこと)。大小橋命(おおおばせのみこと)
大阪府大阪市天王寺区小橋町(おばせちょう)3−1。小橋公園に隣接。
天正年間、織田信長公の石山本願寺攻めの戦闘で、式内社の比売許曽(ひめこそ)神社の社殿とともに焼失したとされています。
産湯稲荷は境内の摂社で、現在地にその摂社が再建されたということのようです。
(比売許曽神社は東成区東小橋に遷座したとされますが、高津宮(高津神社)にも境内摂社があります。どちらも祭神は下照姫。オオクニヌシの娘です。)
桃山跡の碑には『このあたりの丘陵は桃山と呼ばれた。明治のころまで広大な桃の林があり、大正八年(1919)に埋め立てられた味原池とともに景勝の地として知られていた』と書かれています。
鎮座地の地形図(国土地理院・標高地図)
産湯稲荷神社を基準に東西断面図を作ってみますと、上町台地の地下水脈が湧き出す東側の斜面に鎮座していることがわかります。
昔の人が 龍穴、りゅうけつ と名付けそうな場所です。
(参考までに。京都市内の神泉苑は、平安京の龍穴とされています)
桃が池公園のネコ弁天様
この不思議な雰囲気ですが、以前紹介した、桃が池公園のネコ弁天様(私が勝手に名付けてます。笑)がいる股ケ池明神にたいへん似ています。
信長公が石山本願寺(現在の大阪城)攻めをしていたころの石山合戦図に書き込んでみましたが、当時は川筋(難波の堀江)でつながっていたんですね(もちろん今は川はありません)
都会の中の不思議感は、境内の産湯玉之井(うぶゆたまのい)あたりに、さらに濃厚に漂っています。
次回に紹介します(続きます)
御由緒と御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
(私見含みます。)お稲荷さんの神様ですね。倉稲魂神も『うかのみたまのかみ』と読みます。住吉さんの考察より(私見として)宗像三女神の二女・タキツヒメ(お滝様)のことと考えています。倉稲魂神は長女・タゴリヒメと考えています。
下照比売命(したてるひめのみこと)
(私見含みます。)オオクニヌシとタキツヒメ(おたき様)の娘。比売許曽神社の御祭神。兄がアジスキタカヒコネノミコト(味耜高彦根命、阿遅鉏高日子根神)。アジスキタカヒコは葛城の高鴨神社の主祭神。出雲から葛城に移住した はじまりの鴨氏 の先祖。
下照姫は、奥明日香・栢森(かやのもり)の伽夜奈留美命神社の御祭神。伽夜奈留美命神社は地元集落では「滝本神社」と呼ばれています。「お滝様」の名に由来したものと妄想しています。
大小橋命(おおおばせのみこと)
(御由緒より)天の岩屋神話で登場する天児屋根命(あめのこやねのみこと)の十三世末裔。味原の地で誕生。父(または祖父)が大中臣(おおなかとみ)の姓。のちの藤原氏、卜部氏、伊藤氏、熊野別当九鬼氏らの祖。
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(2020年12月、始めました)
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