先日の続き
産湯稲荷神社 産湯玉之井
産湯稲荷神社の境内北側、小さな鳥居をくぐって下ったところに、産湯(うぶゆ)の名の由来となった、産湯玉之井という井戸があります。
ご由緒には、神代の昔、大国主命(オオクニヌシ)の御子・アジスキタカヒコネノミコト(味耜高彦根命、阿遅鉏高日子根神)が、味耜山あじすきやま(小橋山おばせやま、愛具目山あぐめやま)にやって来て、掘って湧いた泉を『日高の清水』『日高眞名井(まない)の清水』と呼んだのが始まり、と書かれています。
そして、後の時代、大小橋命(藤原、卜部、伊藤、熊野別当九鬼氏らの祖)が誕生した際、この清水で産湯をつかったことから、『産湯の清水』『産湯の玉之井』と呼ばれるようになったそうです。
ひっそりと。上町台地に残る出雲の神々の名
もともと『日高眞名井の清水』と云われていたことに注目です。
水の祭祀(龍神信仰)にかかわる神社(全国どこでも)を見てまわっていて、必ず確認したいのが『眞名井、まない』の存在です。
こんこんとわく美しい泉・眞名井
そこを源として水が流れ人々の営みが築かれます。
クニの発展の根幹のイメージとでもいうんでしょうか。
興味のある方は、#眞名井 #真名井 #あめのまない などでググってみてください。各地にあります。
(有名かどうかはわかりませんが、例えば、福岡の宗像大社・中津宮(大島)の奥の低地に真名井があります)
真名井に鎮座するのは出雲の神々です。
神棚中央の弥都波能売神は「みつはのめのかみ」。罔象女神とも書きます。
宗像三女神の二女、タキツヒメ(お滝様)に対応した女神様です(タキツヒメはオオクニヌシの奥さま)
住吉さん(楠珺社)の考察より、お稲荷さんの御祭神・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)も同一神と考えています。
湧き水は水道栓をひねって出します。水垢離(みずごり)ができる空間です(飲用厳禁、マジ腹下ります。経験者が語る。笑)
このような場所を「おたき場」「滝場」と言ったのかもしれません(桃ヶ池の股ケ池明神にもあります。住吉さんのおたき道の道しるべの先にもおたき場があります)
産湯稲荷神社 産湯玉之井 ご由緒
大小橋命は天児屋根命(あめのこやねのみこと)十三世の子孫で、人皇十三代の時代、味原郷にご誕生された。その場所を字掃部(あざかもん?)屋敷とも 藤原殿 とも云います。その時に玉ノ井(井戸)をくみ、産湯に用いたので、この場所を産湯(うぶゆ)と云います。父は中臣ノ臣雷大臣(なかとみのおみ・いかずちのおみ)、母は紀氏清夫といいます。三人の男子が生まれました。長男は大小橋命で、御味宿祢(すくね)とも小橋宿祢ともいいます。二男は意穂命といい、三男は阿遅速雄命といいます。神代の時代(出雲神の昔)に、大国主命の御子である味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)が降臨された霊地として、この場所を味原とも、小橋とも云います
ご由緒板とは別に、本殿前に置かれていた紙の由来書には「大小橋命の父(あるいは祖父)の代、つまり、人皇十四代・仲哀天皇時代に、卜部姓を賜る」とも書かれています。
卜部氏も中臣氏も、後の日本古代史の主役級 藤原氏 を名乗る氏族(春日の系統)で、どうも、その成り立ち(出自)のことが書かれているようです。(前回記事・御祭神 のところもあわせてご覧ください)
私はこのあたり、まだ勉強不足ですし、一つの由緒で歴史を語るべきではないかと思いますので、調べた後、いずれ書いてゆきたいと思います。
Wiki(卜部氏)には、鹿島神宮、葛城一言主神社、宗像大社には、それぞれ卜部氏が居住していたと書かれています。
そういう意味で、産湯稲荷神社の御由緒は、日本古代史の謎を解く貴重なワンピース、ヒントになるかも知れません。