縄文以来の日本列島の古代を考えるのに、大阪ほどわかりやすいところはないと思います。
私が全国どこでも遺跡や史跡をめぐる時、大阪で培った知識、やり方をベースに考察します。
何より一番に、その場所の当時の地形(海抜)を想像します。
例えば、古い時代の海岸線、段丘(高台、高丘)、縄文に海だったところ、弥生の海退で出現した平野(沖積平野)など。
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当ブログではたくさんの地図を紹介していますので、今日は、はじめて紹介するツールを使って説明しましょう。
『地理院地図』というのですが、国土地理院のデータベースを使って、大阪を中心に標高を色別に示した地図を作ってみました。
※グーグル等で『国土地理院 ⇒ 地理院地図』で検索できます。よかったら遊んでみてください。標高はもちろん、各年代の航空写真地図など、いつもと違った視点で地図を見ることができます。標高地図はハザードマップを理解するのにもよいです
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現在の京阪神エリア全域です。標高で色分けしました。
瀬戸内海の水色が海(海抜ゼロ)で、青色が標高5メートル以下の地域です(海じゃないですので間違いないように)
次に、大阪市内中心部を南北に走る「上町台地(古代上町半島)」にスポット当ててみました。
大阪の古代史の考察に関係する(しそうな)主な地点を書き込みました(地理院地図をパワポで加工)
大阪城-難波宮-空堀-近鉄上本町駅-四天王寺-住吉大社(黄色のタテのライン)の各標高のグラフです。
海に浮かんで頭をもたげた龍
古代、生駒山頂から西の瀬戸内海を見ると、キラキラ輝く海に、北に向いて頭をもたげたドラゴンのような(半)島を眺望できたのではないでしょうか。
古くは石山と云われた大阪城天守閣のところが『頭』、住吉大社が『尻尾』
今なら背中にコブのある巨大なネッシーに見えたかもしれません。
難波宮がそこにある意味
さて上町台地の標高を、東西で見てみましょう。
参考に『難波宮太極殿跡』に焦点を当てた、東西の標高データです。
難波宮の太極殿は、このラインでは、上町台地の最高高度のところに造営されていることがわかります。
ちょうど龍の背中の『せびれ』の一番とんがったところですね。
不思議に思うのは、古代の大王は『龍の頭』(現在、大阪城天守閣のある最も高い場所)に、難波宮を造らなかったことです。
大阪城ができる前は石山本願寺(寺内町、じないまち)だったのですが、本願寺派も同じでした。
大阪城が築造されるまで、上町台地の『てっぺん』は古来よりの『聖地、イワクラのある禁足地』であったと考える理由です。
さて、石山本願寺の後に、大坂の地を領したのは信長公。
いちばん最初に、聖地に足を踏み入れ、龍神の頭に杭を打ったのは、秀吉公では役不足に思えます。
やはり『第六天魔王』を自称した信長公だっのでしょうか。