ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【真言宗総本山 東寺】春の特別拝観。ここにもあそこにもオレオレ【教王護国寺】

はじめに

新幹線から京都を感じさせてくれるのが #東寺 #五重塔。かつての #平安京 #朱雀大路 南端の羅生門の東に位置した国営官寺。#弘法大師 #空海さん が別当として約十年間活躍。#教王護国寺 #金堂 #講堂 #食堂(じきどう)

目次

本文

東寺(教王護国寺)の後七日御修法(ごしちにちみしほ)

(34.9807424773019, 135.74773314292824)/京都市南区九条町1/最寄駅は近鉄京都線東寺駅。西へ徒歩5分。路線バスもあり。有料駐車場あり(他詳細は交通のご案内|東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺 を参照)

東寺 南大門(現在の南大門は明治期に三十三間堂の西門を移築したもの)

南大門から五重塔。カメラ目線でオレオレポーズをとる?アオサギ君(嬢?)

東寺 南大門付近にて

春の特別拝観『東寺と後七日御修法』開催中。5月25日(水)まで。

後七日御修法 ごしちにちみしほと読みます。

東寺 春の特別拝観(5月25日まで)

新年七日の翌日の一月八日から十四日(後七日)に行われ、宮中から天皇の御衣をあずかり、国家安泰・寶祚無窮・五穀豊穣を祈ります。

弘法大師空海さん)が唐に倣って平安京大内裏で行ったものが、後に東寺に引き継がれ、途中、応仁の乱などの戦乱期や明治期(廃仏毀釈)に途絶えたこともありましたが、千年以上も続く、東寺最大の行事だそうです(ユーチューブでも見ることができます)

後七日御修法には 真言宗十八本山 が勢ぞろいするとのことで、真言宗最大の行事ともいえます。

*****

天皇の御衣に祈祷するスタイル*1は、古い時代、難波津の生國魂神社(弥生~古墳時代、北東西の三方が水域の現在の大阪城付近に鎮座していた)で生島巫(いくしまのかんなぎ古神道)が斎行していた 国家祭祀・八十嶋(島)祭 に似ています。(八十嶋祭は鎌倉時代に途絶したと考えられています)

www.zero-position.com

南大門をくぐって東(南大門の写真の右の方)のところに、地主神を祀るとされる八嶋社 が鎮座していますが、八十嶋祭と関係があるような気がしています。

東寺 境内 八嶋社

東寺(教王護国寺)境内図 仏法僧の伽藍

南から、南大門-金堂-講堂-食堂(じきどう)-北大門が、南北の直線上に並ぶ中心伽藍。

金堂が「仏の聖なる空間」、講堂が「仏法を説く密教のマンダラ世界」、食堂が「僧が修行する所」。仏法僧(ぶっぽうそう)の配置 だそうです。

東寺境内図(新撰京都名所図会巻四。昭和三十七年)

桓武天皇(第50代)が平安京造営に際して、南の羅城門を挟んで、朱雀大路(京中央を内裏に至る南北の大路)の東西に建立した二つの国営官寺のうちの東(天皇の居る内裏から見て左京)に置かれたのが東寺(797年ごろから造営)。

弘法大師空海さんが東寺に入ったのが824年。以降、約10年間、別当(神仏祭祀の最高責任者)として平安京で活躍した後、高野山に移ります。

【参考】平安京造営時の地図

www.zero-position.com

東寺(教王護国寺)金堂・講堂・食堂・五重塔

東寺 金堂 御本尊:薬師如来。脇侍に日光・月光菩薩の三尊(桃山時代の再建)

東寺 講堂 御本尊:大日如来。仏像で密教曼荼羅世界を描く(桃山時代の再建)

金堂は、大日如来を中心とした五佛を中心に、向かって右に五大菩薩、左に五大明王。周囲を四天王(多聞天持国天広目天増長天)、梵天帝釈天が囲む 密教曼荼羅世界

その大きさは壮観!金堂とともに拝観おススメです(上の講堂諸尊の写真は配置図左下の増長天から撮影したもの)

東寺 講堂 密教曼荼羅の配置図(新撰京都名所図会より)

東寺 二つの夜叉神堂の間から向こうに食堂(昭和の再建)

朝から晴天で、境内は目を開けていられないくらい眩しく。高さ55メートルの五重塔を下から見上げると。。。

東寺 五重塔(江戸期の再建)

東寺 五重塔 初層

特別拝観を見終えて、北大門を出るとお濠。

ここにもカメラ目線?のアオサギ君。鶴と亀ならぬアオサギとカメの絵図。

東寺 北大門そばのお濠 鶴と亀ならぬアオサギ君(嬢?)とカメ

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あっ!あそこにもアオサギ君(嬢?)

まさか!最初から最後まで、、、おなじヤツなら、オレオレアオサギ

あそこにもアオサギ君(嬢?)

*1:八十嶋祭では、新しい天皇の着衣にクニウミ・クニづくりの神気を与える意味合いがあったようです