まとめ
悲しい #中将姫 の伝承が残る #当麻寺(#當麻寺)#ボタンの寺(4~5月)で有名ですが、今頃の季節は姫が編んだ #当麻曼荼羅 の糸になったという蓮がキレイです。東西二基の三重塔(国宝)は創建以来の姿。漢方(ツムラ)の中将湯は姫がモデルです
本文
當麻寺(奈良県葛城市當麻1263)は近鉄南大阪線・当麻寺駅より徒歩20分。
當麻寺について(抜粋)
創建者の麻呂子王(当麻皇子)は、用明大王(第31代)の第三皇子。聖徳太子(第二皇子)とは異母兄弟ということになります。
当麻皇子の母上は葛城の姫君(広子あるいは伊比古姫)で、当麻に縁がありました。
(聖徳太子と久米皇子兄弟の母上は穴穂部間人(あなほべのはしひと))
用明天皇の皇子麻呂子王が推古20年(612)に河内で建てた万宝蔵院に始まり、その後、天武11年(681)に、麻呂子王の孫、當麻国見が現在地に移し、この地方の豪族・當麻氏の氏寺になったと伝えられます。金堂・講堂が南北に一直線に並び、金堂の南方両側に東西二つの三重塔、さらに本堂、薬師堂、仁王門が独特の伽藍配置で並んでいます。宗旨としては、三輪宗に始まり、弘法大師が参詣してから真言宗に変わり、鎌倉時代に浄土宗の霊場となり、以降、現在まで、真言宗と浄土宗の二宗を並立しています。・・・4月中旬より境内で咲くボタンの花の名所です。4月14日には、中将姫(ちゅうじょうひめ)ゆかりの練供養が行われます
悲しき中将姫の伝承(抜粋)
奈良時代の右大臣・藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い継母に育てられましたが、継母に山に捨てられてしまいました。その後、父と再会しましたが、姫の願いで當麻寺に、十七歳で中将法如として仏門に入り、曼荼羅を織ることを決意し、ハスの茎を集めてはハス糸を繰り、一夜にして一丈五尺(約4メートル)四方のハス糸曼荼羅(當麻曼荼羅)を織り上げました。姫が二十九歳の春、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土に向かわれたと伝えられています。練供養は、その伝承を再現したものです
東西二つの三重塔
国宝。『天平時代の二基の塔が創建当時から現存するのは當麻寺だけ』だそうです。
本堂
奥院
ハスの花が開いている朝の時間にお参りしたおかげで、宝物殿は貸し切り状態。
當麻曼荼羅や二十五菩薩来迎像など、當麻寺の宝物をじっくり見学することができました。
二十五の菩薩は一人一種の楽器を奏で、中将姫を極楽浄土に導きました。
奥院の奥に浄土庭園(先日の記事)