世界遺産登録記念の「百舌鳥・古市古墳群と土師氏(はじし)」という特別展が9月29日まで開かれているので大阪府立近つ飛鳥(ちかつあすか)博物館に行ってきた。(博物館の守備範囲は飛鳥・古墳時代)
古墳時代、大阪に難波宮(なにわのみや)の都があった時代、本来の飛鳥を「遠つ飛鳥」、現在の大阪府羽曳野市飛鳥あたりを中心に「近つ飛鳥」と言った(古事記)。近くの太子町には聖徳太子の墓のある叡福寺(えいふくじ)や太子の父上・用命天皇の墓とされる墳墓もあり、一帯に「もうひとつ」の中枢があったことを伺わせる。
土師氏(はじし)と言えば「はにわ」だが、それは別の機会に。この記事では博物館の目玉「仁徳天皇陵」ジオラマで、巨大古墳造りをお伝えしようと思う。
その前に。
貴重な三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)を触ることができるヽ(´∀`)ノ
仁徳天皇陵の造営
墓域には職業集団ごとの集落が築かれ、食糧、材料の備蓄や供給基地も整備されており、ひとつの都市国家のようになっていたことがわかる。
ゼネコンの大林組が、仁徳天皇陵の造営には16年の歳月、延べ680万人の労働力を要したと試算している。1日平均・約1200人の労働力を16年維持した計算だ。ピーク時には3000人ぐらいの労働者が連日作業したと想定される。
新しい仲間
開物発事が大阪府立近つ飛鳥博物館に行くと、お仲間が増えることになっている。