硝子(ガラス)屋で会社を興したオヤジ(亡父)、昭和40年代の高度経済成長の波に乗り、忙しい日々を送っていたようです。
たまの日曜、大阪ナンバに「怪獣映画」を観に、連れて行ったもらうのがタノシミ。しかし小学生(3~4年)の足でも20分ほどにもかかわらず必ずタクシー。ヘビースモーカーは車内でスパスパ・・・10分足らずの間に必ず酔っていました。
酔い止めを飲みビニール袋を持って乗って行きましたね~。歩いてゆけばよいのですが、当時、有名な誘拐事件(映画にもなった)があってカーチャン(亡母)が許さず。少々羽振りのよかった当時、オボッチャマの繁華街一人歩きはアカン!ということだったということでしょうか。
怪獣特撮映画が全盛の時代(1960年代半ば)
東宝のゴジラ、大映のガメラ、日活ガッパ、松竹ギララ・・・次々と新作が発表され、怪獣特撮映画はひとつのジャンル。
この頃、普及し始めたテレビで、円谷プロが「ウルトラQ」を放映し、後の「ウルトラマン」シリーズのヒットにつながってゆきます。
大魔神(だいまじん)三部作(1966)
その中でも異色だったのが大映の大魔神。大映はガメラを子供、大魔神を「時代劇&怪獣映画好き」の大人をターゲットにしていたといいます。
たいていの大人が好きな戦国時代を舞台に、古墳時代の巨大埴輪(はにわ)が登場してドンガラガッシャンという怪獣特撮映画のトッピング。
Wikiで調べたら、1966年春~年末の三部作だったそうですが、すべてを観た記憶があります。
とにかく時代劇大好きだったオヤジ。実はこの異世界に、どストライクではまり、子供の私をダシに楽しんでいたのでしょう。
柔和な顔の巨大埴輪が、民衆をいじめる性悪の戦国武将(江戸時代なら悪代官)を怒り露わにやっつけるという勧善懲悪(ヒール&ヒーロー)ストーリー
ご印籠を部下に掲げさせる、お白州でしらばっくれる悪者に桜の入れ墨を見せる・・・そんな様式美ではなく。。。
手(腕)を顔にすーっとかざすだけで、お顔が瞬間芸のごとく豹変し、ずしんずしんと悪役相手に闘うのですよ。
「オデコから鮮血」は当時、国民的人気だったプロレスのひとつの様式美でしょう。
「いつの間にかの武器」で場外乱闘・・・これもプロレスの定番でした。
スペシウム光線も口から吐く火炎もなし。ただ巨体を動かし、建物をなぎ払い、相手から奪った武器を振り回す。
悪者たちをやっつけた後、手(腕)をかざすと、瞬間で柔和なベビーフェイスに戻る。
そして最後は静かに背中を見せて山に戻ってゆく姿は、花道をさってゆく歌舞伎役者。
それを感謝感激、大歓声で見送る村人(=観客)たち。
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一話完結でそれぞれ、こんな流れで「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」と続きました。
youtubeでさぁっと見ただけですが、意外にリアルな破壊シーンに驚きました。
戦国時代の木造瓦ぶきの城郭。「なるほど~こういう倒れ方と音がするのかっ!」という作り手のこだわりにあらためて感心しました。
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なおその後の私は、さまざまな事情でオボッチャマから普通のボウズに転落したまま、紆余曲折、古代妄想なオッサンになり、今に至っています。