はじめに
式内社 #跡部神社。大阪府八尾市、ものづくりの中小企業と住宅街が混在する地域に鎮座。今は大阪平野南部の陸地ですが、古代 #住吉津 とヤマト平野をつなぐ大和川系水路の要衝で海人系 #阿刀氏 の本貫地。#空海 さんの母方氏族
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本文
JR大和路線・天王寺駅から。久宝寺駅下車徒歩10分ほどのところに跡部神社。
大阪・ものづくりの中小工場街と住宅街が混在した中に鎮座しています。
延喜式神名帳に「河内国渋川郡・跡部神社」と記載されている式内社ですので、創建はふるく由緒ある神社です。
御祭神は、いくどかの変遷があったようで詳細不明(ということにしておきます)。
諸説ありますが、拝殿の扁額を拝見すると、現在は天照皇大神(アマテラス)を主祭神に、阿刀連大神(あとのむらじのおおかみ)、八王子大神(はちおうじのおおかみ)を祀っているようです。
古代・阿刀氏の氏神
一帯は、古代の住吉津~息長河(古代磯歯津道、八尾街道、現在の長居公園通り)から、旧大和川の馬地谷の水路を入ったところで、つまり、住吉津(瀬戸内海)からダイレクトで水路でつながっていた場所です。
跡部神社の周辺には、弥生時代の亀井遺跡、久宝寺遺跡、そして、埴輪と言うにはリアル過ぎる「船型」が出土した長吉長原遺跡などが集まっています。
阿刀氏とは?
阿刀連大神(あとのむらじのおおかみ)は、古代阿刀(あと)氏の氏神で、その名の響きから安曇(あど)の海人族の系と考えてよいでしょう。
また「連、むらじ」はモノノベ系をあらわしますので、物部氏に協力した海人族 と考えられます。
(ただし、安曇の海人族は縄文血統で、各支族がそれぞれにメリットのある権力を自治選択したのが特色で、海人族全体がモノノベ血統という訳ではありません。阿刀氏は、この時代のこの地域で物部氏に協力したというニュアンス。その中で血統的な交わりはあったかも知れませんがそれは不明です)
住吉津から水路でつながった大和川水系の内陸部に拠点があるということは、阿刀氏は、そこからさらに大和川を遡上して大和平野(都のある飛鳥川、物部氏本拠・石上の布留川)につながる重要な水系を握っていた氏族だったのでしょう。
阿刀氏とは何者でしょうか。
一族では奈良時代から平安初期にかけて活躍した阿刀大足(あとのおおたり)が有名です。
大足は平城京の大学寮の教官でした。彼の時代、すでに物部氏(宗家)は滅び、住吉津からの水路も埋まっていたものと思われます。
玉依御前(たまよりごぜん)の名で知られる弘法大師・空海さんの母上は、おそらく阿刀氏宗主・安斗智徳(あとのちとく)の娘で、その兄妹が阿刀大足、つまり、空海さんの「おじさん」にあたります。(続きます→2月7日記事)
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(連載中)