桜井市の鳥見山(とみさん)
以前から気になっているのが、奈良県桜井市の鳥見山(とみさん)。
標高245メートルの低山で、ふもとの等彌神社(とみじんじゃ)の御神体山だ。
鳥見山は、大神神社(おおみわじんじゃ)の御神体山・三輪山の南側に位置する。
ヤマト王権の飛鳥・奈良盆地から見ると、この鳥見山と三輪山の狭隘を通り宇陀、吉野へ抜けて行く入り口で、両サイドを御神体山で固める格好だ。
古代、飛鳥時代ごろまで、奥明日香・宇陀の向こう、吉野は仙人が住み、仙薬のある聖地と考えられていた。
日本で初めて大嘗祭が行われた「鳥見(とみ)の霊畤(れいじ)」
霊畤とは「まつりのにわ」の意。
神武天皇が日本ではじめて天皇に即位したとき、その就任式である大嘗祭が「鳥見の霊畤」で行われたと伝えられる。
Wiki(鳥見山)では、宇陀市の鳥見山(とりみやま)がメインで、桜井市の方は軽く書かれている。
専門家の評価や位置的に、むしろ桜井市の方が可能性が高いと思うが、なぜか、マイナーな扱い。
等彌神社(とみじんじゃ)
ふもとの等彌神社には、上津尾社(天照大神)と下津尾社(八幡大神、春日大神)の2つの本殿があり、
上津尾社の奥、稲荷社から御神体山・鳥見山に登る。
「鳥見の霊畤」が在る頂上まで、片道約1キロ、山道なので約1時間のコース。
ご由緒書の銅板に刻まれた絵は「光輝くトビ(鵄)の御神紋」ともうひとつ、あれは???
(四回シリーズ)
ご由緒文字起こし
当神社の背後に位置します標高が245メートルのなだらかな山容の鳥見山は初代神武天皇が橿原宮に即位され、神武四年春二月に「わが皇祖の神霊は天より降りみそなわして、私の身体をてらし助けたもうた。いまもろもろの賊を平定してしまって海内(くにのうち)は事件とてないほどよく治まっている。そこで天神を祭って大孝(おやにしたがうこと)の志を告げ申し、お礼を致したい。」と詔(みことの)りをされ、鳥見の山中に霊畤(まつりのにわ)を設け、国で採れた新穀及び産物を供えられ、御自ら皇祖天津神々を祭り、大和平定と建国の大孝を申べ給うた大嘗会の起源、我が国の建国の聖地であると伝えられております。
その西の麓(ふもと)に鎮座する等彌神社は、十世紀前半に制定せられた「延喜式」の神名帳にすでに記載があり、祈念祭の幣帛に預かった古社でありますとともに、昭和十五年の紀元二千六百年当時には、旧村社から県社に列せられ、爾来、地元桜井は元より、全国的な崇敬に預かる県下有数の名社であります。ご祭神は「天照大神」を主神として、下社には「八幡」「春日」の大神をお祀り申し上げております。