(四回シリーズ)
下津尾社、上津尾社をお参りした後、早速、御神体山の鳥見山に登ることにする。
手水舎で清めて杖をお借りする。
気になる神像については、鳥見の霊畤にお参りしてから。
お詣りの山道には、上津尾社のそばの稲荷社から。
境内はそこかしこに出雲の神々
山道に入ってすぐに黒龍社と道標。麓(境内)の社(市杵島社、恵比須社、猿田彦社など)は出雲の神々。
したがって、ここはオオクニヌシを祀っていると考える。
よく整備された道を上がって行くと霊畤拝所。ここは斎場山と云うようだ。
この辺りから、ハイキングコースのような山道。アップダウンはあるが、三輪山に比べて緩やか。
途中、広場のような空間に「白庭」の碑。
目的地、山頂の「鳥見の霊畤」
白庭よりもやや小さな空間の中に碑が立っていて、案内板もあった。
山頂は木々に囲まれ、周囲は見えない。
霊畤(れいじ)は北の方角に「三輪山」を見上げる所と考えて来た。
スマホのGoogleマップで確認すると、碑は山頂の北側に立てられ、つまり、碑の後ろ、茂みの向こうに三輪山があり、霊畤から遥拝する格好だ。
三輪山とヤマトの出雲族
確認したかったのが、この方角。
この国ではじめて大嘗祭が行われた場所であると云う説話があるが、本当にここだったのどうかを今、私が判断できる訳でもない。
ただ少なくとも、古来、ここから三輪山をのぞみ拝んでいた。ヤマトのクニ中でも、最高級に神聖な場所であったことは間違いないだろう。
三輪山と、三輪山を遥拝するこの場所を守っていたのは出雲族だったはず。
三輪山は、ふもとに辺津、中腹に中津、頂上に奥津のイワクラ群を配する出雲(宗像)様式で、おそらく山岳信仰の原型だ。
それに、等彌神社はヤタカラスに関わりの深い神社で、もともと霊畤のこの場所に社殿があったという話もある。
ヤタカラスは賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)(下鴨神社・上賀茂神社)
「賀茂」は「鴨」と同じ出雲(王)族の名だ。
しかしなぜ京都で、同じ「かも」が「鴨」と「賀茂」に別れたのだろう。奈良では「鴨」だ。
そのことを考えることは、ヤタカラスの謎を考えることに繋がり、
その手がかりが、等彌神社や鳥見の霊畤にあると考えている。