ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

上賀茂神社(1)賀茂別雷神社・創建前後の歴史解説★

上賀茂神社の立砂。本殿に向かう手前の細殿・前にある。

御祭神・賀茂別雷神が最初に降臨した神山(こうやま)を模したもので、神籬(ひもろぎ、神様が降臨するヨリシロ)

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上賀茂神社・立砂

上賀茂神社、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。

鴨川と高野川の合流点より、鴨川沿いに約4キロ北に上がった丘の中腹にある。

賀茂社本殿の北北西2キロ奥にある円錐状の神山(こうやま)が御神体

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神山(こうやま)上賀茂社

境内には8摂社、24末社

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賀茂社・境内図

確実な創建は天武6年(679年)

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賀茂社の楼門・本殿

賀茂社の略歴では、神武天皇の代に神山に御祭神が降臨、(一千年の時間が空いて)欽明天皇28年(576年)に賀茂祭葵祭)が始まったとなっている。

記録に残るほぼ確実な創建年は679年。第40代・天武天皇6年「山背国をして賀茂神宮を営ましめ給う」とある。

「賀茂神宮」は上賀茂と下鴨をあわせた呼び方だった可能性が高い。

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上賀茂神社・過去記事(リンクありはアップ済み)

● 鈴なりの音が響く 片岡社、新宮神社

www.zero-position.com

● ならの小川 藤原家隆 渉渓園の夏景色

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● 御神体の「神山」と赤い矢の創建神話

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創建前後の歴史解説。やや妄想入ります

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

● 葵祭は、物部氏滅亡の丁未の乱(587年)直前に始まった *物部支配がピークのころ

● その後、飛鳥時代。主に斉明女帝の時代(皇極642~645⇒斉明655-661の重祚) ★神仏混沌の時代。飛鳥京外での新神社創建は中断

● 白村江の戦い(663年、天智2年)で日本・百済遺民軍は、唐・新羅軍に大敗 ★組織的な海上戦と最新の兵器に敗れる、多数の兵と鉄を失う

● 天智天皇は飛鳥板蓋宮を棄て近江大津宮秦氏領)に遷都(667年)★秦氏が有する近江の製鉄技術と生産力を求めた

● この時期に秦氏は山背(現在の京都)一帯で領土を拡大 ★上賀茂と下鴨の構想が練られた

● 天武天皇期(673~686)に神社仏閣の再構築・再編成が行われた(~持統天皇期) ★神仏並立の時代。上賀茂・下鴨の賀茂神宮がスタート

● 一部の神社は仏閣として再建された模様(矢田寺など)

● 持統期を経て中央集権の奈良時代に移行してゆく流れで、平城京の造営・遷都に併せて、★伊勢神宮が上賀茂・下鴨を参考に再構築され、出雲大社が創建された

キーマンは天武天皇

斉明女帝の息子で、兄が中大江皇子(第38代・天智天皇)。白村江に大海人皇子として参戦した。

出征前に戦勝祈願し、凄惨な戦場を見聞し、帰国後は反撃を怖れ国家鎮護を求めた。

人生を通して高いレベルの霊的守護を求めた天皇

自ら発案した藤原京で新しい国家づくりに乗り出しつつ、下火となっていた神道を再構築し、仏教も重視する政策をとった。

686年に崩御

遺志を継いだ皇后が第41代持統天皇となり、夫が進めていた日本書記、古事記を完成させた。

京都盆地の古代豪族、強大な秦氏(はたうじ)

天武期の「神道再構築」の先駆けとして、古代から山背・出雲族(先の出雲氏)に厚く信仰されていた下鴨社を再建(おそらくいくつかあった社をまとめた)し、同じように上賀茂社も創建(後の賀茂氏)し、賀茂神宮としてスタートしたのではないだろうか。

そう考えれば、鴨川上流一帯、出雲氏賀茂氏の「いびつな」エリア割りと「2つの神社があることの意味」を推理しやすくなる。

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京都盆地の古代豪族、京都市考古資料館