ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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上賀茂神社(4)賀茂別雷神社 御神体の神山 賀茂氏と秦氏 赤い矢の神話

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上賀茂神社から神山

上賀茂神社御神体は神山(こうやま)。

御祭神は賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)。

御祭神が神山(こうやま)に降臨したのが、上賀茂神社のご由緒。

御神体の神山

神山(禁足地)の様子が、四天王寺の古本市で買った「新撰京都名所図絵・巻二」に書かれていたので転載する(要約、カッコは開物)

上賀茂神社の正北二十町(約2キロ)に位置する円錐形の独立峰。山頂には、珪石(けいせき)が露出した一帯、磐座(いわくら)群がある。この中でも最大のものを「降臨石」という。

上古(古墳・飛鳥時代)には神山を御神体として崇拝していたのを、のち(奈良時代)に山麓に社殿を営なむ形になった(上賀茂社の創建は679年)

従って、社殿は神山を遥拝する場所にある。

なお、上賀茂社の背後の丘陵は、第二次大戦後にゴルフ場となったが、その折、先史時代(縄文中期以降)の石器千数百点、ならびに、縄文土器の破片を多数、発掘した」(転記ここまで)

Googleマップで見ると神山の山中に「垂跡石(すいじゃくいし)」というのが見えるが、それが降臨石なのかどうか、わからない。ネット検索では登山報告と写真もあるが、どうやら登下山口は私有地で、また、上賀茂社が禁足地としている以上、遥拝で十分だ。

神社仏閣巡りは古代史跡巡り

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上賀茂神社 二の鳥居 奥に立砂

ゴルフ場は惜しい話だが、全国の特に大きな神社は、たいてい、昔は「イワクラ」だったり、近くに「古墳」があったり、そして、その前は「弥生・縄文・石器時代の遺跡」だったりする。

古代から人がすみ続け、ずっと「聖地」としてあがめられてきた場所が、最終的に神社や仏閣になっているという姿は、古代を考える時のポイントだ。

(本ブログで取り上げた住吉、鹿島、熱田、諏訪(下二社)、下鴨に共通する。最近では、熱田神宮近くの断夫山古墳発掘のニュースがホット)

賀茂社の創建神話(ご由緒)

釈日本紀(しゃくにほんぎ)の「山代国風土記」の逸文より。

玉依姫(たまよりびめ、下鴨社の御祭神)が瀬見の小川(鴨川)で遊んでいると、丹塗りの(真っ赤な)矢が流れて来たので拾い、床に置いた所、しばらくして懐妊し、男子を出産した。その子が成長した頃、祖父の建角身命(つぬみのみこと、同じく下鴨社の御祭神、ヤタカラス)が神々を集めて七日七夜の饗宴をし、その席で「自分の父と思う人にこの酒を飲ませよ」と言ったところ、子は天に杯を掲げて昇天し、後に、別雷命(わけいかずちのみこと)として神山に降臨した。丹塗りの矢は乙訓郡(おとくにぐん)にいます火雷命(ほのいかずちのみこと)である。

秦氏と出雲系の賀茂氏

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謡曲 賀茂(上賀茂神社

火雷命は乙訓神社、松尾大社の御祭神で、どちらも、山城国(京都)の秦氏(はたうじ)の系統だ。

この神話は(おそらく同じ出雲系の鴨氏と分裂した)賀茂氏(ヤタカラス)の娘が、秦氏の火雷命(秦氏宗主)の子を産み、賀茂一帯の支配権を握ったことをニオわせている。

今、秦氏がどういう一族であったかを、考えている。

www.zero-position.com

くり返される赤い矢のイメージ

賀茂社の由緒を読んで、少なくともデシャヴ感を抱いた人も少なくないだろう。

時代も違い、長くなるので、ここでは説明しないが、以下一読して、想像を巡らせていただけたらと思う。

三輪の神話と勢夜陀多良比売(要約)

古事記より(Wiki、大物主、参照)

三嶋湟咋(みしまのみぞくい)の娘の勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)を気に入った美和の大物主神は、赤い丹塗り矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。

彼女は驚き走り回ったあと、すぐにその矢を自分の部屋の床に置くと麗しい男の姿に戻った。こうして二人は結ばれて、生まれた子が富登多多良伊須須岐比売命(ほと・たたらいすすきひめ)である。

後に「ほと(富登)」を嫌い、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と名を変え、神武天皇の后となった。

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