今甦る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳(発掘30周年記念展示)
滋賀県東近江市の雪野山頂で発見された、古墳時代でも早い時期(~西暦300年代前半、古墳時代は250年~)の前方後円墳。
未盗掘で発見された貴重な史跡だ。
雪野山古墳は聞いたことがあるが、展示の機会が少なく「幻の古墳」というイメージだった。
これは見逃せない!と思っていたところ、仕事で東京に行ったついで?(笑)に見学。
雪野山古墳
※文中、開物の古代妄想にマーク(古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE)
ちょうど15時前の入館で、東近江市の埋蔵文化財センターの学芸員さんの解説付き(毎日15時~)で見学できた。
古墳の造営時、琵琶湖畔にひろがる湿地帯の中、雪野山は浮島(うきしま)のようであったと考えられる。
いただいた資料には「標高309メートルの山頂には、かつて貴船神社(御祭神:高龗神、たかおかみのかみ)を祀る祠があり、龍神の住む神聖な山として崇められていた」とある。
★龍神信仰は古代出雲文化のこん跡。高龗神がおられたということは、中腹に罔象女神(みつはめのかみ)、麓に闇龗神(くらおかのめのかみ)もおられた可能性がある(祠もしくはイワクラ)。雪野山に行く機会があれば、ぜひ確認したい。
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古墳は未盗掘で、貴重な副葬品が丸ごと出土した(時代的に早いため埴輪がない)
銅鏡5枚、漆製品34点、銅鏃(どうぞく、祭祀用のやじり)96点、他、腕輪の鍬形石、小札状の鉄製品を束ねた甲冑などの鉄製品、つぼ型土器1点
副葬品は武具が多く、埋葬者は男性、古墳の規模からみて、琵琶湖南東部一帯を支配する一族の王だと推定されている。
学芸員さんに聞いてみたが、今のところ分かっているのはそれぐらいとおっしゃっていたので、以下、古代妄想。
★前方後円墳は物部氏の様式。出雲文化があったところに物部氏が乗っかるというのが私の古代シナリオ(出雲後物部)。シナリオは近江一帯でもあてはまると思った。物部氏は湿地帯に浮かぶ「浮島」を「クニウミ」の中心(聖地)ととらえていた。そして周囲に水田地帯を広げるのがモノノベ式の国土開発。この手法が発展して西暦400年代の巨大古墳時代に入った(百舌鳥・古市古墳群)
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展示品の中で、未盗掘ならでは、特に気になったものを紹介(銅鏡はあらためて別の機会に)
赤いゆき(靫)と矢
ゆき(靫)は弓矢を入れる矢筒のことで、板に結んで背負って使う。
雪野山では棺内と棺外で2種類のゆきが出土した。ここでは棺内出土の方。
資料より)革に絹糸をひし形文様に組み上げ、黒漆で固めた筒部分と漆塗木製の底箱からできています。外面に水銀朱を塗布し、鮮やかな赤色に仕上げています。靫には銅鏃が納められています。光輝く美しさを誇示した儀礼用の鏃とされます
少し見にくいが、左側の矢は復元したもの。矢の柄(矢柄)は黒い漆で採色されていたそうで、矢じりの「赤銅」とマッチして権威あるものに映ったことだろう。
赤い矢の神話
時代は異なるが、大神神社(おおみわじんじゃ)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)には似たような「赤い矢」の神話が残されている。
★出雲族の姫が、赤い矢と結ばれ母になるというストーリは「出雲後物部」の史実を暗示していると考えている
★「赤い矢」は物部氏(大神神社)または秦氏(上賀茂神社)。それぞれの時代、祭祀と軍事を支配した渡来系一族の「力強さを象徴するモノ」(物部最後の宗主、物部守屋は守矢とも云われる)
保存状態のよい赤いゆき(靫)と矢を見ているうちに「赤い矢」の神話のことを考えていた。
写真(右)は出土した状態のもの。
真新しい状態だと、ゆきは水銀朱の鮮やかな赤、矢は矢じり部分が輝く赤銅色
一目見れば「赤い矢」・・・あとは想像にお任せする。
雪野山古墳・記念展示情報(明治大学博物館)
今甦る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳(発掘30周年記念展示)2019年10月4日(金)~27日(日)
会期中無休、入場無料、開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)