雪野山古墳(前方後円墳、全長70m、前期古墳)からは、前回紹介したゆきや矢じりなどの武具等のほかに、五枚の銅鏡が出土している。
なお、前期古墳とは、出現期古墳ともいわれ、古墳時代(西暦250年~)のはじめの約百年間に造られた古墳のことで、埴輪(器台除く)がないのが特徴。
五枚の銅鏡(じっくりどうぞ)
威信材(いしんざい)
「銅鏡は威信材」などという解説を目にすることがあるが「王権を象徴するモノ」を威信材という。
文化人類学の用語。古代は世界共通で「権力と祭祀が一体化」していたことから、このような象徴器が王墓に埋納等された。
日本では銅鐸(どうたく)や銅剣・銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・鉄剣など、また「三種の神器」もカテゴリーとしては威信材だ。
銅鏡の謎
前期古墳に多い銅鏡にはたくさんの謎がある。
例えば「三角縁(さんかくえん)」。雪野山の5鏡のうち3号、4号、5号がそうだ。
(断面で見ると)鏡の縁が三角形に造られた様式のものをいう。写真で確認いただきたい。
三角縁様式の鏡は、国産か?大陸産か?で、長い間、議論されている。
特徴は、鏡の中央部が、たいへん薄い造りだということ。
復元できない古代の高度技術
古代製は鏡の中央部が2~3㎜の極薄。一方、レプリカは5~8㎜。
なぜ同じものを造らないの?という疑問がわくが、現代の技術では「それほど薄いものは割れるため造れない」そうだ。
「も」というのは、時々訪問する黒塚古墳(奈良県天理市)の天理市立黒塚古墳展示館にもレプリカがあり、同じことを展示館のガイドさんから聞いている。
あまりに薄いので光にかざすと鏡の紋様が鏡面に浮かび上がるため「魔鏡」説もある。興味のある人はググってみてください。
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実はもうひとつ復元できない古代技術がある。
三角縁ではないが、1号鏡(内行花文鏡)。
写真の通り、千七百年経った今でも、黒光りが美しい鏡だ。これほどのものは、他では見られないかも知れない。
解説文に、銅鏡の塗装について書かれている。
「防錆塗装」のことと思われるが、着色方法も含めてすべてが謎。今のところ、現代の技術をもってしても復元不可能だということだ。
雪野山は「漆黒色~鉛色」で、同じ技術のことを言っているのかどうかはわからないが、糸島市立伊都国歴史博物館では、約半数の銅鏡に施された「薄緑色」の塗装技術について「謎」、今のところ復元不可能という説明をしている。(同博物館は、三種の神器・八咫鏡と同サイズの大型銅鏡が出土した平原弥生古墳の出土品を展示)
ノーベル賞を多数受賞し、特に材料技術で世界の先端をゆく我が国ですら、製造方法が謎の古代技術があるのだ。
この場合「ロスト・テクノロジー」と言った方が良いかも知れない。
驚きの真実であるが、私たちは自分たちのご先祖様に対してもっと謙虚であるべきだと思う。
今の「技術大国日本」「ものづくり日本」の姿はその結果なのだから。
さて、三角縁の様式は国産か否か?
外国の技術を採り入れて、新たな工夫や改良を積み重ね、ブラッシュアップして行く姿。
この国らしい・・・なお私は国産説だ。
この件についてはいずれ。