ひさしぶりに大阪歴史博物館(大阪市中央区)に見学に行ったが、ここでブログを書くようになって、ひとつひとつ展示物を注意深く見るようになった。
大阪市内・神社仏閣の縁起物(絵馬や土人形)を展示しているコーナーを見て回っていて足が止まる。
種貸(たねかし)人形も睦(むつみ)犬も、住吉大社、境内末社の種貸社で頒布している。
(むつみ犬(睦犬)は安産の御礼参りのほかに「腰痛除のお願い」をする際に奉納される)
「おやっ」と思ったのが、種貸人形の説明の「住吉神社内 苗見神社」というところ。
以前、種貸社のことを書いたが、苗見神社という名は初見、大社のホームページにも書かれていなかったのでスマホ検索。
出てきたのが、大社の西約1キロ、長居公園そばの神須牟地神社(かみすむぢじんじゃ)
明治の終わりごろに合祀された多米神社(ためじんじゃ)は「苗見(なえみ)神社」「種貸神社」とも称されていたという。
住吉さん・種貸社のページに「多米神社」と書かれていたのは、ここのことだった。
多米神社(ためじんじゃ)之跡
後日、神須牟地神社にお参りして、神主さんに話をお聞きする中で、近くの長居住吉郵便局の向かいに「多米神社之跡」があることを教えていただいた(大阪市住吉区長居)
多米神社の創建は不詳だが、摂津国三の宮とされた神須牟地神社(二千年前より鎮座)と同じ時期と考えられる古社だ。
(住吉大社は公式には西暦211年の創建とされており、神須牟地神社、多米神社の方が古い)
神須牟地神社由緒略記より、境外末社・多米神社(文字起こし)
御祭神
宇賀魂命(うがのみたまのみこと)、神稚魂命(かむわかたまのみこと)、保食神(ほぐいのかみ)
多米連(ためのむらじ)の建てた神社と言われ、延喜式内社の旧い神社で別名「種貸神社」「種貸社」「種貸の森」「苗見神社」「鎮座の社」「苗見の森」「明神さま」と称され、多米連の祖神として祀られた。子孫繁栄、子宝の御神徳があり、浪速名所の一つとして厚く崇敬されていたが、明治四十年十二月に多米神社は、神須牟地神社に合併し、ご祭神は合祀しているが、神社境内地が現存している。
多米連(ためのむらじ)
神社跡の石碑裏に長文の由緒が書かれていたが、ほぼ由緒略記の内容が書かれていた。
碑には他に、多米神社の一帯は多米連の領地で、多米連は新撰姓氏禄(平安時代初期の815年(弘仁6年)に編纂された古代氏族名鑑)には「神魂命(かもすのみこと)の五世の孫で、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の後裔」と書かれていた。
天日鷲命は「天の岩戸神話(日本書記)」に登場する神で、楮(こうぞ)を植えて白和幣(しろにぎて、神主さんがお祓いでふる白いひらひら)を作ったとされる。
阿波(粟、四国徳島あたり)の忌部(いんべ)氏の祖で製紙業・紡績業の神とされる。
たとえば楮(こうぞ)は和紙の原料だが、古代の「かみそ(紙衣、神衣)」が語源とも聞いたことがある(出典忘却、笑)
「紙衣」であれば製紙、「神衣」であれば紡績だろうか。古代には楮の皮をほぐして編んだものを「木綿(ゆう)」といったそうで、もちろん、今の木綿(もめん)とは違う。
多米連は阿波国が出自の忌部氏系、つまり、物部氏系の中の有力豪族(品部、しなべ、職業集団)であったものと考えられる。
次回、神須牟地神社でお聞きしたことも含めて(種貸、苗見の由来など)