住吉大社の反橋(そりばし、太鼓橋のこと)、三つの本宮(第一・第二・第三)は一直線に並んでいるが、この中心ラインを東に約1キロ伸ばしたところに神須牟地神社が鎮座する。
神主さんはこの空間的な位置関係を十分に認識しておられた。
創建は住吉大社よりも古く、基本的に、神須牟地神社が大社への「住道(すんぢ)」に鎮座していることとの関係で考えておられるようだった。
神須牟地神社は約二千年前に創建。住吉大社は公式には約1800年前、西暦211年の創建
「かみすむぢ」の「すむぢ」は「住道」とも書いたそうで、例えば、江戸期に大名が参勤交代の途中、神須牟地神社で旅装を解き、装束をあらためて住吉大社に参拝するほどの社格であったという。
先日紹介した 多米(ため)神社 は、苗見(なえみ)神社・種貸(たねかし)神社とも云われ、江戸期には子孫繁栄・子宝の御神徳(土人形などの縁起物)で浪速名所に数えられるほど庶民で賑わったそうだが、明治期に神須牟地神社に合祀された。
拝殿横には、多米神社(跡)と同じく、徳川幕府の命により「標石」が置かれている。
このような標石は「北摂~茨木~平野~堺」の式内社(延喜式神名帳に掲載された神社)に二十基あるそうだ。
標石を丁寧に追うことで、住吉大社をセンターとした古墳時代の国家祭祀 の姿が浮かんでくるような気がしている(摂州住吉宮全図の謎を追うシリーズのテーマとも関係するかも知れない)
造化三神(2020年1月29日追記)
主祭神の筆頭、造化三神(※)の一、神産霊大神(かみむすびのおおかみ)は神魂命のことで、出雲の神様。
※造化三神:天御中主神(あめのみなかのぬし)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)。日本最初の神。(以下、開物ざっくり解釈)天御中主=天の中心・動かない北極星。したがって実在した神ではない。高御産巣日神はモノノベ系。神産巣日神はイズモ系。いずれも実在、氏族集団というイメージでとらえている)
神須牟地神社・ご由緒
御祭神
(主祭神)神産霊大神(かみむすびのおおかみ)、手力雄命(たぢからおのみこと)、天児屋根命(あまやこやねのみこと)
(相 殿)天日鷲命(あめのひわしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、宇賀魂命(うがのみたまのみこと)
(追 祀)少彦名命(すくなひこなのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、住吉大神(すみよしおおかみ)
(以下のご由緒はリンク先のコピペ)
当神社は、延喜式内の古社であって三の宮と称され、約二千年昔の鎮座である。古来より医薬の祖神・酒造の祖神として信仰が厚く、文武両道の守護神としても御神徳があった。社領は、住吉大社二万二千石の中の三百七十五石余りであったが社領減地の節に没収されている。本殿は慶長年間、兵火にかかったが豊臣の浪人であった多賀谷氏、秦氏、小山氏、岡田氏等の協力のもと再建し、元和四年八月二十一日遷座の式が挙げられ、この日を祭典の日と定められている。
元文元年九月、徳川幕府は本社及び多米神社の廃滅に瀕せしを憂い幕吏 菅 廣房に命じ「神須牟地神社」「多米社」と刻せる石碑二基を双方地に建立せしめた。この石碑は今も現存している。