はじめに
嵯峨野・太秦(うずまさ)古墳群の中では蛇塚古墳に次ぐ全長70メートルの #前方後円墳 #天塚古墳(6世紀前半・古墳時代後期築造)築造年代や規模から太秦で栄えた #秦氏 一族の首長クラスの墳墓と考えられます #稲荷信仰
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本文
天塚古墳(あまづかこふん)
京都・太秦(うずまさ)松本町の住宅街の中に、6世紀後半(古墳時代後期)築造、墳丘長70メートルの前方後円墳・天塚古墳があります。
(35.00727792128809, 135.7119986296414)/京都市右京区太秦松本町18/京都市営地下鉄・太秦天神川駅、嵐電・天神川駅から徒歩10分(古墳周辺は住宅街のため駐車場はありません)
案内板に書かれているように、天塚古墳では二つの横穴式石室が発見され、後円部の石室が主室、くびれ部の石室が倍室(副室)と考えられています。
天塚古墳 横穴式石室
後円部の主室と考えられる石室は、現在、稲荷信仰に関連する宗教団体の建屋の奥にあり普段施錠されていますが、4月中旬のツアー参加時に中に入って見学しました。
もともと天塚古墳に鎮座していた白清稲荷は、蚕ノ社(木島坐天照御魂神社)境内に移設されました。
くびれ部の石室は、あらためて訪問し、撮影。
天塚古墳 墳丘の様子
墳丘に上ると、木立の中に鳥居とたくさんの稲荷信仰の石碑が建てられていました。
後円部上の社殿跡。
墳丘の碑の中に、伏見稲荷 御山遥拝所 と刻まれた石碑が倒れていました。
本記事の作成時点で詳細に調べていませんが、天塚古墳の前方部は、南東の 秦氏の稲荷信仰が発祥とされる伏見稲荷大社の後背の御山(稲荷山)を向いているようです。
また後円部は、天塚古墳の北西、やはり秦氏の長・秦河勝が開基した 広隆寺(太秦寺、蜂岡寺)の境域を向いています。
古墳をぐるっと回って、スタート地点に戻ってきました。
【蛇塚古墳/古墳時代後期末】