ファンでない方には申し訳ないですが😅彗星なみのサイクル、18年ぶりということでお許しください。優勝を決めた9月14日の試合前 #タイガース の守り神 #大江神社 #狛虎さん にお参り
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2003年Vの時に再建・建立された狛虎
(34.65748033897052, 135.51205198928528/天王寺区夕陽丘町5−40/地下鉄四天王寺前夕陽丘駅から徒歩5分)
かつての地元で、私も氏子だった大江神社の御本殿に隣接して、江戸期の 摂津名所図会 で毘沙門堂と紹介された跡地があります。
その前に鎮座する阿吽(あうん)の狛虎。
もともと大江神社は四天王寺を守る 七宮 のひとつの古社で、
神仏混交の江戸期まで毘沙門堂、つまり、毘沙門天を祀るお堂(社)がありました。
聖徳太子は四天王の中でも特に毘沙門天を篤く信仰したようで、個人的に、七福神の毘沙門天は太子の荒魂(あらみたま)の姿であると考えています。
太子ゆかりの朝護孫子寺(ちょうごそんしじ、奈良県生駒郡平群町信貴山)の御本尊は毘沙門天で、守り神としての虎がシンボルとなっていますね。
狛虎伝承(阪神タイガースの守護神となった経緯)
地元の古老によると、太平洋戦争の大阪空襲で一帯は一面、焼け野原になりました。
文字起こし)古来より鎮座する狛虎の由来は、戦火によってすべての資料を失い不明である。伝承によれば神仏分離令の折に、阿吽一対の吽形(メス)のみが滋賀のある寺へ持ち出されたとされるが定かではない。いにしえより 虎は毘沙門天を護る役目を負ってきた。この狛虎の奥の空き地にはもともと、毘沙門天を祭る社があった。残された阿形(オス)は戦火によって満身創痍となりながらも、難波の守護神としてその威厳を保ってきた。この地は古代すぐ神社の下までが海で、夕日の美しいことで知られ、多くの文人たちが、その風光明媚を書き残している。境内には芭蕉の句碑があり、すぐ近くには 新古今和歌集の選者の藤原家隆 も眠る文化的環境の満つ景勝の地である。
平成14年(2002)阪神タイガースの不振の救世主として、星野仙一氏が監督として迎えられたのを機に、一人のファンが狛虎に「献歌」による優勝祈願を始めた。実際のところ、タイガースは力強く羽ばたきはじめ、2年目の平成15年には、シーズン初めから破竹の勢いで勝ち進むのを見て、願かけ賛同者も増えて行った。そして、神社の氏子より吽形の建立話が持ち上がり発注がなされた。そして約2ケ月を費やして作成された吽形は、8月26日に無事境内に鎮座されたのち31日には各関係者立ち会いのもと、入魂除幕式が執り行われた。約130余年のお輿入れである。通常吽形には角があるが、男尊女卑を払拭した21世紀の狛虎にはそれがない、新しい思想である。これより一対となった狛虎は未来永劫、大阪と阪神タイガーズの守護神として慈光を照らし続けるであろう。この9月初旬18年ぶりの優勝が決定した。(2003年9月吉日)
このあたりの経緯はよく覚えてますね…新しい狛虎の建立直後に優勝しました!
以来、守護神といわれ、阪神ユニを着たファンの参拝が増えました
ファンにとっても特別なV
横田慎太郎選手(享年28才)の追悼試合(7月22日)から後は、33勝8敗1分(勝率7割9分)という驚異的な成績。
狛虎さんとともに、今年はもう一人、天国に守り神がいましたね。
仙さんの2003年よりも1日早い優勝を決めた9月14日の試合、9回表。
救援の岩崎投手の登場曲「栄光の架け橋」から、涙腺が崩壊状態でした。